風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

実を結ぶのだそうです。私たちの人生は。

ことばは肉となって、私たちの間に宿られた。
  私たちはその栄光を見た。ヨハネ1:14(12/27の週の聖句)
 
主はモーセに言われた。
「いったい、誰が人間に口を与えたのか。
  主なるわたしではないか。」出エジプト記4:11
 
あなたがたがわたしを選んだのではない。
  わたしがあなたがたを選んだ。
 あなたがたが出かけて行って実を結び、
   実が残るようにと。ヨハネ15:16
 
        (ローズンゲン日々の聖句12/27;日)
 
 私たちは、自分が自分の宗教を選んだと思っています。
 けれども、天の神、主は仰っておられるのでしょうね。
「誰が、あなたに口を与えたのか。
あなたが、しゃべれるようにしたのは誰なのか。
あなたが、考えることができるのは誰によるのか。
あなたが、今日、生きていくために必要なものを用意したのは誰なのか。
あなたは、自分でこれを得たとでも思っているのか。
わたしではないのか」と。
 
 父である神、聖である霊と呼ばれる方と共に、
天地、宇宙を創造された方、
この地球の自然環境を整えて、
私たちの住まいとして与えられた方、
私たち人間を造られた方、
御子である神と呼ばれ、
神の言(ことば)と呼ばれる方が人となって、
この私たち、人間の世に生れ、住んで下さったというのですね。
 
 この方が、私たち人間のすべての罪を背負って、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
霊のからだに復活され、
天の父である神の右の座に帰られ、
今、私たち一人一人に聖である霊と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。
 
 この方、聖である霊と呼ばれる方が私たち一人一人の心に、
父である神の私たち一人ひとりに関わる御思いを書き付けてくださるので、
私たちがこれを受け入れるなら、
私たちはこの方の御思いをこの世界にもたらすために、
それぞれの場に派遣される者としてくださるのだそうですね。
 
 私たちがこの方の御思いに従って出て行くときに、
私たち一人一人をとおして働いてくださる聖である霊の御業は、
残るのだそうですね。
「浪速のことは夢のまた夢」のようではなく、
この方との関係は、永遠の世界にまで続くのだそうですから。
今日も。
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