風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

義の太陽が昇るのだそうですね。いやす力がある。

わが名を畏れ敬うあなたたちには、

  義の太陽が昇る。

 その翼にはいやす力がある。マラキ書3:20

御国が来ますように。

 御心が行われますように、

  天におけるよう地の上にも。マタイ6:10

        (ローズンゲン日々の聖句12/31 ;木)

 私たちは思うのですね。

「神に仕えるのはむなしいことだ。

神の戒めを守っても、

万軍の主の前で悲しんで歩いても、

何の益になろう。

今、私たちは、

高ぶる者をしあわせ者と言おう。

悪を行って栄え、

神を試みても罰を免れる」と(マラキ3:14~15)。

 神が、我々の行いに応じて裁きをなさるなどということはない。

この世界は、このまま、いつまでも続く。

善いことを行っても、悪いことを行っても、

何の違いがあるのか、と。

 しかし、天の神、主は言われるのですね。

「見よ。その日が来る。

かまどのように燃えながら。

その日、すべて高ぶる者、

すべて悪を行う者は、わらとなる。

来ようとしているその日は、彼らを焼きつくし、

根も枝も残さない」(マラキ4:1新改訳)と。

 「あなたがたは再び、正しい人と悪者、

神に仕える者と仕えない者との違いを

見るようになる」(マラキ3:18)と。

 

 私たちは、「われわれのひとりのように」(創世記3:22)ではなく、

「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、

造られた者であることを認めて、

私たちに代わって十字架刑で処刑され、

死んで葬られ、三日目に墓より復活し、

天の父である神と呼ばれる方の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、

「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

この方によって、父である神と呼ばれる方の、

私たち一人一人に関わる御思いを、

それぞれの心に書き付けていただいて(エゼキエル36:26~28)、

その書き付けられた御思いについて行くとき(ガラテヤ5:25)、

私たちは、父である神が、そして、御子である神イエスが、

私たち一人一人をとおしてしようとしているわざを行う者にして頂け(ヨハネ14:12)、

天の神、主の統治をこの世にもたらす者ともしていただき、

御心が地の上に行われるために用いていただけるのだそうです。

 そして、イエスが2度目に来られる時、

「われわれのかたちとして、われわれに似せた」者として、

天の神、主と思いを一つにし、心を一つにしている者、

御心を地に実行するために協力した者、

イエスの同労者との栄誉をいただくことになり、

幸いな者(ルカ12:38)となるのだそうですね。

 私たちの労苦が無駄になることはない、のだそうですから(Ⅰコリント15:58)。

今日も。

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