風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

驚くべき光の中へと

私たちはその栄光を見た。
 それは父の独り子としての栄光であって、
  恵みと真理に満ちていた。ヨハネ1:14
        (1/3の週の聖句)
 
私たちを造られた方、
 主の御前にひざまずこう。
  共にひれ伏し拝もう。詩編95:6
 
神は、あなたがたを
 暗闇の中から驚くべき光の中へと
  招き入れてくださった。Ⅰペテロ2:9
 
        (ローズンゲン日々の聖句1/3;日)
 
 初めから、おられた方、
天地が造られる前から、父である神と呼ばれる方とともにあり、
神のことばと呼ばれる独り子である神。
すべてのものはこの方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない(ヨハネ1:1~3)のだそうです。
 
 その彼が最初に、人として、苦難を受ける僕として来られた時、
彼はご自分の国に来られたのに、
御自分の民はこの方を受け入れなかったのだそうです。
 
 彼が、次に来られる時、今度は、独り子である神として、王として来られるのだそうです。
その方が、ほふられた小羊として、十字架刑で処刑された姿をそのまま残しておられる方を見て、
すべての口は、言葉を失うのだそうです。
 
 私たち、自分の罪過と罪の中に死んでいた者、
罪の中にあって、この世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として
今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいる者。
自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、
生まれながらの御怒りを受けるべ子ら(エペソ2:1~Ⅰ~3)で、
この世にあって望みもなく、神もない者でした(エペソ2:12)。
 
 けれども、天の父の右の座に帰られたイエスは、
御自身に代わって、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、父である神の、私たち一人一人に関する御思いを、私たちの心に書き付け、
御父の御思いが心にあるようにしてくださり、御父と思いを一つにする者にしてくださるのだそうです。
 
 また、私たち、いちじくの葉で腰をおおった者の子孫で、心を隠す者ですが、
これからは、すべてを御前に差し出し、
照らしていただき、見ていただき、知っていただいて、
光に照らされた明るい関係にしていただけ、
思いの全部を、心のひだまでも知っていただいている大安心の中を生きるのだそうです。
今日も。
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