風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恐怖に陥り、おじ惑う場所から

私たちはあなたの深い憐れみのゆえに、
  伏して嘆願の祈りをささげます。ダニエル書9:18
        (1/24の週の聖句)
 
平穏な時には、申しました。
   「私はとこしえに揺らぐことがない」と。
 しかし、御顔を隠されると、
   私たちはたちまち恐怖に陥りました。詩編30:7~8
 
神は、高慢な者を敵とし、
  謙遜な者には恵みをお与えになるからです。
 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
   そうすれば、かの時には高めていただけます。
  思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。Ⅰペテロ5:5~7
 
         (ローズンゲン日々の聖句1/24;日)
 
 私たち、平穏無事な時は、自分で生きているつもりになってしまいます。
造られたものであることも、自分の存在を自分では支えることのできないものであることも忘れてしまっています。そんな時、大きな困難や、自分の手にあまる出来事に遭遇すると、自分の限界を知り、自分を越えた何者かを求める気持ちにもなるのですね。
 
「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。
これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇119:71口語訳)
 
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられました。」(伝道の書3:11)
 
 私という存在は、「われわれの(神の)ひとりのようになり、善悪を知るようになったもの(創世記3:22)。
創造主に対抗し、自分を神の上に置こうとする者(イザヤ14:13~14)。
 
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」(創世記1:26)
 
「それは私たちと同様に、彼らが一つとなるためです。」(ヨハネ17:11)
 
「わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」(ヨハネ17:22)
 
 天の神、主、御父と御子と御霊(聖である霊)と呼ばれる方が、愛と尊敬のゆえに、自由意思で、自発的に一つになっておられる、その一つに、愛によって自発的に加わる者をとの願いによって造られた私たち人間。
その創造の目的から大きく外れている者であることを認めて、造られた者の場に帰り、自分を低くしていくなら、憐れみ豊かな神は、ちょうど良い時に、私たちを高くしてくださるのだそうです。
 
 思い煩う。
それは、自分一人で何とかしなければと思っていることでもあるのでしょうか。
私たちの創り主である方に相談し、指導していただくといいのだそうですね。
目の前に立ちふさがる山のような困難なことも、いつしか通り過ぎさせてくださるのだそうですから。
 
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむことがない。
見よ。イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。
 
主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇121)
 
のだそうです。
今日も。
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