風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

御心のとおりに語り、行動させてくださるのだそうですね。聖である霊と呼ばれる方が。

主はモーセに言われた。

「わたしが命じるすべてのことを語りなさい。」出エジプト記7:1~2

主よ、今こそ彼らの脅かしに目を留め、

 あなたのしもべたちが、思い切って大胆に

  御言葉を語ることができるようにしてください。Ⅰコリント4:29

      (ローズンゲン日々の聖句1/28;木)

  預言者の本文は、示されたとおりに、語れと言われたとおりに語ること、なのですね。

差し引いても、付け足してもいけない。

自分の考え、判断を差しはさまないで。

そのようにして、あの本、聖書は書かれているのだそうです(黙示録22:18~19)。

 御子である神と呼ばれる方は、「神のことば」という位置に御自身を置いておられるのですね(ヨハネ1:1~2)。

父である神と呼ばれる方を愛し、尊敬し、この方の御思いが成ることだけを願っておられるので(ヨハネ6:38)。

それで、御父が思っておられるその御思いのとおりを語り(ヨハネ8:26~28、12:50)、

その御思いのとおりを実行されたのだそうです(ヨハネ5:19)。

自分の意見、自分の判断を差しはさまないで。

それで、はばからず言われるのですね。

「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)と。

 御霊、「聖である霊」と呼ばれる方もそうなのですね(ヨハネ16:13~15)。

御父と御子イエスの御思いのとおりに行動なさっておられるのだそうです。

 私たちの罪の全部を背負って十字架刑での処刑を受けてくださり、

墓に葬られ、三日目に復活されたイエス。

40日にわたって、何度も弟子たちに現れ、御自分が確かに生きていることを見せたうえで、

弟子たちが見守る中、オリーブ山から、天の父である神と呼ばれる方の右の座に帰られた、

そのイエスが、私たち一人一人に派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。

 この方が、受け入れる者の心に、御父の御思いを書き付けてくださるので(エゼキエル36:25~28)、

受け入れる者は、御父が一人一人に持っておられる御思い、ご計画を心に持つ者とされ、

御思いをこの地にもたらす者として、用いていただけるのだそうです(創世記1:26、ヨハネ14:12)。

 「聖である霊」と呼ばれる方が、心に置いてくださった御父の御思い、

それを「聖書」で確認しながら、大胆に、そのとおりを語り、

そのとおりに踏み出してみるのだそうです。

あの方々の一つに与る者として。

今日も。

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