風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

万軍の主が定められれば、その御手が伸ばされれば、 

万軍の主が定められれば、
  誰がそれをどどめえよう。
 その御手が伸ばされれば、
   誰が引き戻しえよう。イザヤ書1427
 
もし神が私たちの味方であるならば、
  誰が私たちに敵対できますか。ロマ書831
 
      (ローズンゲン日々の聖句2/3;水)
 
 天使の万軍を従えておられる方。
その方がしようとされることを止めるものは、誰もいないということのようですね。
とすると、問題は、この方がしようとされているのかどうかということなのでしょうか。
 
それで、当時、不治の病であったツァラアト(ハンセン病)に全身が冒されていた男性は、目の前にいるイエスが、この方、万軍の主であると認めて、「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」と、イエスの前にひれ伏してお願いし、イエスから「わたしの心だ。きよくなれ」とのおことばをいただくと、ツァラアトが消えたのだそうです(ルカ51213)。
 
 12年の間、長血をわずらい、どの医者にも直してもらえなかった女性は、この方のお着物にさわることでもできればきっと直ると思って、イエスの衣の裾についているふさにさわって、たちどころにいやされたのだそうです(マタイ92022)。
 
 重んじているひとりのしもべが死にかけていた、ローマ兵の百人隊長も、イエスがこのお方であると認めて、「おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」とお願いして、イエスからおことばをいただき、そのしもべはよくなったのだそうです(ルカ7210)。
 
 私たち、人間は、この方と思いを一つにし、心を一つにして、行動を一つにしていく者をと望まれて造られたものなのだそうです(創世記1:22)。
 
私たちの身代わりになって十字架刑で処刑されてくださり、三日目に墓より復活し、天の御父の右の座に着かれているイエスが派遣してくださる、「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に来る父である神の御思い。
私たちが、万軍の主とも呼ばれるこの方の御思いを受け、この方と一つ思いにしていただき、この方がしようとしておられることをしていくとき(ヨハネ1412)、これに敵対する者があったとしても、圧倒的な勝利の中を進ませていただけるのだそうです(ロマ837)。
 
 御思いに心を添わせていただきたいですね。
今日も。
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