風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

慈しみから出た御業なのだそうですね。あの方の。

主の道はことごとく正しく 、
 御業は慈しみを示しています。詩編145:17
 
主よ、誰があなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。
聖なる方は、あなただけ。
すべての国民が来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。
あなたの正しい裁きが、明らかになったからです。黙示録15:4
 
      (ローズンゲン日々の聖句2/4;木) 
 
 天の神、主は、正義と慈しみに満ちておられる方なのですね。
御思いはすべて正しく、その御業は私たち造られたものに対する愛と慈しみから出て来たものなのだそうです。
 
 私たち人間は多くの神々を考え出しますが、天の神、主は、それらとは全く違う、別なる方。
人間の考えや可能性の延長線上にある方ではなく、造り主の側におられる方。
御思いのままに人間を、天地、宇宙、この自然界を創造された方。
 
 その方が、一人一人の行いに応じた正しい、公平な裁きをなさる時、すべての舌は「あなたは正しい」と告白し、抗弁をやめ、ひれ伏すのだそうです。
 
 天の神、主は、私たち人間の中に、
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、みな、ともに無益な者になった。
善を行う人はいないv。ひとりもいない。
彼らののどは、開いた墓であり、
彼らはその舌であざむく。
彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、
彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。
彼らの足は血を流すのに速く、
彼らの道には破壊と悲惨がある。
また、彼らは平和の道を知らない。
彼らの目の前には、神に対する恐れがない」(ロマ3:10~18)ことをよくご存じのうえで、
人間に期待しても無駄であることを実証したうえで、
最初からのご計画(創世記3:15)のとおりに、
独り子である神と呼ばれる方を人として人間の世に生れさせ、
この方が、およそ、33歳の頃、この方をすべての人間の身代わりとして立て、
十字架刑で処刑して、すべての人間を処刑済みとの手続きを完了していてくださるのだそうです。
 
 そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者一人一人のところに派遣してくださって、この方によって、私たちの心に、私たち一人一人に関わる御自身の思いを書き付けて、私たち一人一人が御自身と思いを一つにし、行動を一つにする者にしてくださるのだそうです。
 
 御前での裁きにおいて問われるのは、このことをどれだけ受け取り、このことにどれだけ歩んだか、なのだそうですね。
イエスの十字架の死による、そむきの罪の赦しを受け取り、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、あの方と思いをj一つにする道を進み、「よくやった。忠実なしもべよ」と言っていただける者にしていただきたいですね。
今日も。
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