風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主をあがめ、喜びたたえさせて下さる方

主に向かって歌います、

  「主は私に報いてくださった」と。詩編13:6

 マリアは言った。

「私の魂は主をあがめ、

  私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」ルカ1:46〜47  

    (ローズンゲン日々の聖句2/11:木)

 天の神、主は、私たちを豊かに扱っていて下さるのですね。

 私たち、天の神、主と心を一つにしていくものに、と願われて造られたものなのだそうですが、その生き方を捨て、「神のひとりのようになり、善悪を知る者となっているのだそうです(創世記1:26、3:22)。

 その、私たち、「生まれたときからの霊」から来る思いは、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼり、怒り、憤り、悪意、そしり、恥ずべきことば、互いに言い合う偽り、などなのですね。

 天の神、主は、イエスの十字架刑での処刑によって、私たちの、その、「生まれたときからの霊」を処刑済みのもの、死んでしまったもの、と見なしてくださり、古い人、脱ぎ捨てるべきものとしてくださっているのそうです。

 そして、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 「聖である霊」と呼ばれる、この方が、受け入れる者の心に、父である神の私たち一人一人に対する御思いを置いてくださるので、受け入れる者は新しい心で、父である神と心を一つにしながら生きる、新しい人にしていただけるのだそうです(コロサイ3:5~10)。

 この方、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者は、 この方の、御父を、御子を愛しておられる愛に心が合わせられ、一つ心にしていただいて、愛に満たされ、マリアのように、主をあがめ、喜びたたえさせてくださるのだそうです。

まとわりついてくる古い人を脱ぎ捨て、脱ぎ捨てながら、新しい人として。

今日も。

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