風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恵み深い、憐れみに富んだ方

恵み深い主よ、彼らをお赦しください。
彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、
神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです。歴代誌下301819
 
ザアカイという人がいた。
この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
イエスがどんな人か見ようとした。ルカ1923
 
      (ローズンゲン日々の聖句2/17;木)
 
 紀元前700年頃のこと、
ユダ王国の王ヒゼキヤは、北イスラエルアッシリアの捕囚から残された者とユダの人々に、エルサレムの神殿に集まり、モーセの律法に記されている過ぎ越しの祭りを行うよう、使いを出したのだそうです。
 過ぎ越しの食事の食べ方についてはモーセの律法に規定があるのですが、集まって来た多くの人々は、身をきよめていないまま、異なったやり方で過ぎ越しのいけにえを食べてしまったのだそうです。そこで、王は、民のことを、このように神に執り成したのですね。
 

 

「いつくしみ深い主よ。このことの贖(あがな)いをしてください。
彼らは、心を定めて神、彼らの父祖の神、主を求めたのですが、聖なるもののきよめのとおりにはいたしませんでした」と。

 

そして、天の神、主は、ヒゼキヤの願いを聞かれ、民をいやされたのだそうです。

 

 

 

イエスが在世当時、ザアカイは、エリコの徴税人の頭だったのだそうです。

当時、徴税人は、占領国ローマ帝国の税金を集める役目を請け負い、不正に取り立て私腹を肥やしていた人たちで、律法を守らない者の代表、「徴税人・罪人のやから」と呼ばれ、一般社会からはみ出しているものとされていたようです。

 

 イエスも、表面的、形式的には律法を守っていないザアカイについても、イエスを見たいという、その求める心を見てくださったということでしょうか。

 

「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」(マタイ913)と言われる方ですから。

 

今日も。
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