風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

すべての人に善を願う思いが私たちにも。

友に対して悪意を耕すな。
  彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。箴言329
 
ですから、
今、時のある間に、
  すべての人に対して、善を行いましょう。ガラテヤ書610
 
        (ローズンゲン日々の聖句3/16;水)
 
 安心して、隣に住んでいる人に悪をたくらんではならないと天の神、主は言われるのですね。
また言われます。
「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
すなわちとなり人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたのとなり人のものを、欲しがってはならない」(出エジプト記201617)とも。
 
 天の神、主が、わざわざ、こう言わなければならないほどに、
私たちの心は悪に傾き、
となり人のものも自分のものにしたいという思いが涌きあがって来るもののようです。
 
 天の神、主によって、
御自身と「思いを一つにする者を」と願われて造られた私たち人間(創世記126)。
その天の神、主との一つの場に留まることを嫌い、「神のひとりのようになり、善悪を知る者、自分の理性を神とし、自分の理性の判断のとおりを実現しようとする者」(創世記3522)となっている私たち人間。
 
 サタンの性質を受け継ぎ、
「私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の王座を上げ、
いと高き方のようになろう」(イザヤ141314)とする者になっているのだそうです。
 
 それで、私たちは、誰にも教えてもらっていないのに、人の上に立っていないと気が済まない者、良いものを全部独り占めしたい者ともなっており、平和に暮らしている隣人に悪意を計り、その持ち物を欲しがる思いも内側から涌いて来る者ともなっているのだそうです。
 
 そのように、最初の創造の目的から外れてしまっている私たち人間を、天の神、主は、なお、ご自分と思いを一つにする者に取り返すことをご計画されているのだそうです。
 
 御子である方を、女の子孫(創世記315)、人間イエスとして人の世に生まれさせ(ヨハネ114)、この方を、予告されていたとおりに、私たち人間の身代わりとして立て、十字架刑で処刑し、「善悪を知る者」となっている私たちの「生まれたときからの霊」を処刑が終わった者としてくださっているのだそうです。
 
 そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、受け入れる者の心に、天の神、主の一人一人に関わる御思いを置いて下さって、受け入れる者が御自身と思いを一つにする者にと、新創造して下さるのだそうですね。
 
 それで、「その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」(創世記65)私たちも、この方によって、心に「すべての人に対して、善を行いたい」との、天の神、主の御思いも置いていただけるのだそうです。
今日も。
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