風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悩み、悲しみをとおして、多くの子孫を

神は、悩みの地で、
  私に子孫を増やしてくださった。創世記41:52
 
 イエスは弟子たちに言われた。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。
   ここを離れず、目を覚ましていなさい。」マルコ14:34
 
        (ローズンゲン日々の聖句3/24;木)
 
 今から2000年近く前のこと、
ヨセフは10人の兄たちに妬まれ、殺されることはかろうじて避けられたのですが、
奴隷として、エジプト王の侍従長おポテファルに売り飛ばされたのだそうです。
 
 さらに、主人の妻に言い寄られ、拒否したため、
乱暴をしようとしたとの虚偽の罪をきせられ、地下牢に入れられたのだそうですね。
 
 そして、その地下牢での数年を過ごしたのですが、
誰も解くことができなかった王の夢を解き明かしたことによって、
王に次ぐ者とされ、エジプト全土を王に代わって治める者とされたのだそうです。
 そして、王によって妻を与えられ、二人の息子が生まれたとき、
2番目の子をエフライム(増やす)と名づけ、
「神は、悩みの地で、私に子孫を増やしてくださった」と、感謝をささげたのだそうです。
 
 2番目の言葉は、イエスが十字架に架かられる前夜、ゲツセマネの園で御父に祈られる時の言葉ですが、
イエスにとって、反逆者として御父から切り離されることは死ぬばかりに悲しいことだったようですね。
 
 けれども、イエスが、その悩み、悲しみの出来事、私たち人間に代わって、反逆者の場を受け取り、十字架刑での処刑を受けられたことで、私たちすべての人間が、なんの功績もないままの、このままで、神との正しい関係に帰る道が開かれ、「聖である霊」と呼ばれる方が、受け入れる者に来て下さることができるようになったのだそうです。
 
 イエスの悩み、苦しみによって、多くの者が神とのあるべき関係に立ち返り、
「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、神の子としていただくことになったのですね。
 
 そして、父である神と呼ばれる方が、私たち一人一人をとおしてしようと思っていらっしゃる、その思いがそれぞれの心にも来て、父である神とひとつ思いを持ち、一つ行動をとるようにしていただけるのだそうです。
御父が、私を通してしようと思われることをしていく者に。
今日も。
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