風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

約束の言葉のとおりに

わたしは良い羊飼いである。
 わたしの羊はわたしの声を聞きわける。
   わたしは彼らに永遠の命を与える。ヨハネ』10112728
 
モーセによって告げられた恵みの御言葉は、
 一つとしてむなしいものはなかった。列王記856
 
あなたがたをお招きになった方は、
 真実で、
  必ずそのとおりにしてくださいます。Ⅰテサロニケ524
 
       (ローズンゲン日々の聖句4/10;日)
 
 良い羊飼いは、羊を大切にし、一匹一匹の羊に名前を付け、羊の世話を良くするので、羊もその自分の羊飼いのことがよく分かり、自分の羊飼いの声をよく聞き分け、名前を呼ばれるとその羊飼いについて行くのだそうですね。
 
 イエスは、ご自分のことを良い羊飼いにたとえ、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と仰っておられたのだそうですが、そのことばのとおりに、私たち、すべての人間の身代わりになって、十字架に架かり、死刑を受けてくださったのだそうです。
 
 それで、このことを受け取るなら、その人は、そむきの罪の罰は、全部、処刑済みにしていただき、「神の一人のようになり、善悪を知るようになっている」、創造主である天の神、主と心を一つにしていく生き方に飽き足らず、神のようになろうとして主にそむき、対抗する者になっている、私たちの「生まれたときからの霊」を処刑済みのもの、死んでしまっているものと手続きしてくださって、そむきの罪の罰はひとかけらも残っていない者として下さるのだそうです。
 
 そして、イエスは、墓に葬られたけれど、三日目、日曜日の朝、新しい身体で、墓より復活し、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、ご自分が生きていることを体験させた後、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天の「父である神」と呼ばれる方の右の座に帰られたのだそうです。
 
 イエスは、その御座にあって、今度はもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者一人一人に派遣してくださって、その方によって、受け入れる者の心に、「父である神」が私たち一人一人に思っておられる御思いを書き付けてくださるので、その部分において、受け入れる者は、「父である神」と同じ思いを持つ者、一つ心の者としてくださり、「父である神」が私たち一人一人をとおしてしようと思っておられることをしていく者とも、してくださるのだそうです。
 
 「父である神」と呼ばれる方は、私たち一人一人をとおして成し遂げたい計画をもっておられるのだそうですから。
 
 「父である神」の御思いから発せられた約束の言葉は、モーセの時そうであったように、今も一つとして空しいものはなく、必ず、その言葉のとおりにしてくださるのだそうですから。
この新しい週も。
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