風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心喜び、恵みをひたすら待ち望む者に

我らの心は喜び、
  聖なる御名に依り頼む。詩編3321
 
イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、
  ひたすら待ちの望みなさい。Ⅰペテロ113
 
        (ローズンゲン日々の聖句4/13;水)
 
 天の神、主により頼む者、この方の恵みを待ち望む者はこの方を喜び、この方の現れを待ち望むのだそうです。
 
 イエスが、十字架刑での処刑を受け、墓に葬られ、三日目に新しいからだに復活し、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、そして、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天に帰られたとき、天を見つめている弟子たちのそばに白い衣を着た人が二人、彼らのそばに立って言ったのだそうです。
 
 「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、
天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、
またおいでになります」(使徒11011)と。
 
 その日に望みを置き、待ち望んでいる者は、
「召してくださった方にならって、
あらゆる行いにおいて聖なるものとされることを願うのだそうです(Ⅰペテロ115)。
 
 イエスが、最後の晩餐の席で父である神に祈ったように。
「それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。~~わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。」(ヨハネ172126)と。
 
 天の「父である神」とよばれる方の右の座に帰られたイエスが派遣してくださるもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方は受け入れる者の心に働いて、「父である神」と呼ばれる方の、私たち一人一人に対する御思いを受け入れる者一人一人の心に置いてくださり(エゼキエル36:25~28)、私たち一人一人の思いを「父である神」に届けてくださるのだそうです(ロマ8:26~27)。
受け入れる者が「父である神」と思いを一つにする者となるために。
今日も。
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