風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

新しい創造を受けて

キリストと結ばれる人はだれでも、

  新しく創造されたものです。Ⅱコリント5:17(4・17の週の聖句)

 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。

   あなたは私の砦の塔、

     苦難の日の逃れ場。詩編59:17

 私たちの主イエス・キリストの父である神、  

   慈愛に満ちた父、

    慰めを豊かに下さる神がほめたたえられますように。Ⅱコリ1 :3

        (ローズンゲン日々の聖句4/17;日)

 一本のぶどうの木とその枝は、一本のぶどうの木として一体なのですね。

そのように、イエスの十字架刑での処刑を「生まれたときからの私」という霊の処刑としていただき、復活し、天の「父である神」の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、「父である神」が 一人一人に思っていてくださる御思いを心に書き付けていただいて、その御思いを自分の思いとして生きる者(エゼキエル36:25~38)は、それを受け取り、その中にとどまっているなら、「父である神」、「御子である神イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方の中にとどまっていることになり(ヨハネ15:4)、一本のぶどうの木とその枝のように、一体のものとしていただけるのだそうです。

 これを受け取った者は、イエスが、「それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また彼らもわたしたちにおるようになるためです」(ヨハネ17:21)と言われるものとしていただき、「聖である霊」と呼ばれる方によって新しく生まれたもの、新しく創造されたものとしていただけるのだそうです(ヨハネ3:3~8)。

 この新創造を受け取り、この新創造の中を歩む者は、「父である神」が、一人一人をとおしてしようと思っていらっしゃる御思いが、その一人一人の願いとなり(ピリピ2:13)、実を豊かに実らせ、慰め、喜びを豊かにいただく者ともしていただけるのだそうですね。

この新しい週も。

 そして、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかな物に忠実だったから、わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。わたしの喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:23)と言っていただける栄誉をもいただけることにもなるのでしょうね。

復活の朝には。

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