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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

用意してくださった弁護者が

神は私の道を見張り、
 私の歩みをすべて数えておられるではないか。ヨブ記314
 
 神の御前では隠れた被造物は一つもなく、
すべてのものが神の目には裸であり、
さらけ出されているのです。
この神に対して、
私たちは自分のことを申し述べねばなりません。ヘブル書413
 

        (ローズンゲン日々の聖句4/26;火)

 
 この方の前に、隠れたところはなく、私たちのすべてがさらけだされているのだそうです。
心の思い、その動きまでも。
この方は、私たちの行動だけでなく、その動機、心をご覧になる方なのだそうですから。
 
 やがて、私たちは、一人でこの方の前に立ち、生きて来た一つ一つのことについて問われる時が来るのだそうです。
 けれども、父である神は、私たちのうち、誰一人、自分の正しさで立つことができないことをよく御存じで、私たちのためにひとりの弁護者を用意していてくださるのだそうです。
 
 その方は、私たち、すべての人間の、すべての罪を、御自身に引き取って、自分から、反逆者、犯罪人の場に自分を置き、十字架刑での処刑を受けて、天と地との間に高く掲げられ、呪われ、見せしめにされた方なのだそうです。
 
 死刑にされ、黄泉のどん底にまで下り、霊の世界のすべてを体験された方。
罪は犯されなかったけれど、人間のすべての悩み、苦痛を経験してくださった方なのだそうです。
 
 この方に弁護をお願いしていくなら、私たちのすべての罪は、この方ご自身において処刑済みになっており、告訴する者、サタンが新たに、どんな私たちの罪をほじくり出して来たとしても、その罪の、私たちが受けるべき処罰は、もう、ひとかけらも残っていないと弁護してくださるのだそうです。
 
 だから、この方に弁護をお願いしていく者は、憐れみを受け、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、はばかることなく、大胆に、恵みの御座に近づいていいのだそうです(ヘブル4:14~16)。
今の、この自分のままで。
 
 「父である方」は、受け入れる者に、「御子」の義の衣をきせ、「子」の身分を与える霊、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださり、一新された新しい心、「父である方」と思いを一つにしていく心を与えてくださり、御自身が、私たち一人一人をとおしてしようと思っておられることをしていく者にしてくださるのだそうですから。
今日も。