風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の祈りを退けることなく

神をたたえよ。
 神は私の祈りを退けることなく
   慈しみを拒まなかった。詩編66:20
         (5/1の週の聖句)
 
 わたしは、
  わたしが主であることを知る心を彼らに与える。エレミヤ書24:7
 
 イエス・キリストのことを思い起こしなさい。
  この方は、ダビデの子孫で、
   死者の中から復活された方です。Ⅱテモテ2:8
 
        (ローズンゲン日々の聖句5/1;日)
 
 詩篇66篇の作者が言うように、
「もしも私の心にいだく不義があるなら、
主は聞き入れてくださらない」のであれば、
私たちの祈りは、聞き入れられるはずのないもの、なのでしょうね。
 
 「ダビデの子孫として、ガリラヤのナザレ村、貧しい一処女マリヤの胎を通して生まれられ、
およそ、33歳の頃、十字架に架かって処刑され、
ローマ兵によって槍で脇腹から突き刺されて死亡が確認され、
近くにあった、アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、
陰府にまで下り、
三日目、日曜日の朝早く、死者の中から復活された方、イエス。
 
 この方の贖(あがな)い、自分のいのちを代価として支払っての買い戻しによって、
これを受け取る者は、罪は、イエスによって処罰されてしまっている者と見なされ、
イエスの義をいただいて御前に立つことができるようにしていただけるのだそうです。
 
 イエスの名によって、「子」の立場に置いていただいて、
祈りを聞いていただける者にもしていただけるのだそうです。 
 
 そして、そのイエスが、天の「父である神」の右の座にあって、
受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださり、
その方が、受け入れる者を「父である神」を「わが主」とし、
「父である神」が、私たち一人一人に対して思っていてくださる御思いを、
受け入れる者の心に書き付け、
「父である神」と同じ思いを思う者、一つ心の者ともしてくださるのだそうです。
 
 受け入れる者は、「父である神」がその人を通してしようと思われることを
自分の願いとして願い、
祈り求めていく者にもしていただけるのだそうです。
 
 こうして、「父である神」がしようと思われることをしていく者ともしていただけて、
神の同労者ともしていただけるのだそうですね。
この新しい週も。