風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

交わるために来てくださっている方と

わたしは地上から上げられるとき、
  すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。ヨハネ1232(5/8の週の聖句)
 
 主に向かって歌い、主を賛美せよ。
  主は貧しい人の魂を、
   悪事を謀る者の手から助け出される。エレミヤ2013
 
 希望をもって喜び、
  苦難を耐え忍び、
   たゆまず祈りなさい。ロマ書1212
 
        (ローズンゲン日々の聖句5/8;日)
 
 「わたしは地上からあげられるとき」とイエスがこのように言われたとき、聞いていた人たちは、「木に掛けられる」死に方をすることを言われていると分かっていたようですね(ヨハネ1234)。
 
 イエスは、また言われました。
「わたしが去って行くことは、あなたがたにとっては益なのです。
それは、もしわたしが去って行かなければ、
助け主があなたがたのところに来ないからです。
しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」(ヨハネ167)と。
 
 この言葉のとおり、過越しの祭りの子羊が屠られるその日、その時間に、イエスは十字架に架かり、命をささげられました。
 
 そして、その時から50日後、また、三日目に墓より復活されたイエスが40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国の事を語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを弟子たちに示された後、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、上げられ、雲に包まれて見えなくなられた(使徒Ⅰ:39)その時から10日後、イエスが言われた約束の「もう一人の助け主」が、弟子たち一人一人のうちに来られ、いつも、いつまでも、弟子たちと共にいて、語り合い、交わるものとなってくださったのだそうです(使徒2113)。
 
 この、力ある方が来られたとき、弟子たちは、「主に向かって歌い、賛美する」者にされたのだそうです。
そして、激しい困難の中にあっても、牢に捕えられ、ライオンの餌食にされ、火あぶりにされるようなときにさえ、「希望をもって喜び、苦難に耐え忍び、たゆまず祈る」者とされたのだそうです。
 
 「たゆまず祈る」。
「もう一人の助け主」、「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者と交わるために来られる方(Ⅱコリント1313)。
この方と、いつも、四六時中、交わり、語り合い、心に行き来する思いのすべて、心のひだまでも聞いていただき、見ていただき、受け取っていただいて、全部見てもらっている、知ってもらっている、見せていないところは一つもない、大安心の中で生きていくのだそうです(ロマ82627)。
 
 パウロも言います。「聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」と。
この新しい週も。