風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あろうと思われるとおりにあることができる方が、受け入れる者とともにいて

神はモーセに、
「わたしはある。わたしはあるという者だ
  (I Am who I Am)」と言われた。出エジプト記314
 
わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる。マタイ1820
 
      (ローズンゲン日々の聖句5/30;月)
 
 あろうと思われる通りにある方が、世の終わりまで、私たちと共にいるとおっしゃるのですね。
 
 この方が、受け入れる者とともにおられることは、
エルサレム神殿の美しの門に置かれて、施しを求めていた、40歳あまりの、生まれつき足のなえた人が、イエスの弟子のペテロとヨハネによる、「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」との宣言で、立ち上がろうとしたとき、たちまち、足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだし、歩いたり、はねたりしながら、神を賛美し始めたこと(使徒418)のように、イエスがなされたのと同じようなわざが起こることや、
互いに愛し合う愛が増し加わること、
「聖である霊」と呼ばれる方の働きの現れである異言や預言(Ⅰコリント14121)、
知恵のことば、知識のことば、
特別なことをない遂げる信仰、いやし、奇蹟を行う力、
霊を見分ける力、異言を解き明かす力(Ⅰコリント12611)などの事実によって、 
また、父である神と呼ばれる方の、私たち一人一人に対する御思いが、受け入れる者の心に来て、今までの自分では思うはずのない思いが来ることなどによって、
また、御霊に満たされる、「聖である霊」と呼ばれる方の存在の中に自分が覆われる、沈められること、などによって分かるのですね。
また、イエスの名前によって話しかける、その私たちの語りかけを聞いていただけることによって。
 
 全能の神と呼ばれる方、「あろうと思われるとおりにある」方が共にいて御業を現してくださるのだそうですから。
今日も。