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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

岩盤まで、土台の杭が届いていないマンションがありましたけれど

あなたのように力ある業をなしうる神が、
  この天と地のどこにありましょうか。申命記324
 
 わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。マタイ724
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/10;金)
 
 神々と呼ばれるものはたくさんあります。
けれども、天の神、主と呼ばれる方、この方こそ、力ある業を為し得る神。
この方の御思い、判断を自分の行動の土台とする者は、岩を土台として建てた家のよう。
どんな地震にも、また、洪水が押し寄せ、強風が打ちつけても倒れないのだそうです。
 
 私たち人間は、天の神、主から、御自身と思いを同じくし、心を一つにし、行動を一つにし、存在を一つにする者、いつも一緒にいて、一緒に行動して、互いを喜び合う者を、と望まれて造られた者(創世記1:26)。
 
 それなのに、もっと素晴らしい者になろう、神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者になり、自分一人の理性の判断で行動する者となったのだそうです(創世記34622)。
岩の土台を捨てて、砂の上を土台として家を建てているような者に。
 
 天の神、主は、そのような私たち人間を、なお、愛し、大切に思い、御自身と一つになるものに回復しようと計画されたのだそうです。
 それで、御子である方を、人間イエスとして、男のそむきの罪を引き継いでいない「女の子孫」として、ダビデ家の末裔のひとりの処女、マリヤの胎を通して、人の世に生まれさせ、この方がおよそ33歳の頃、人間のすべての罪をこの方に背負わせて十字架刑で処刑し、反逆者、呪われた者として天と地との間に高く掲げられたのだそうです。
 
 この方を処刑することで、これを受け取る者を処刑済みとの手続きをし、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、この「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に御自身の一人一人に対する御思いを置いてくださるのだそうです(エレミヤ313134、エゼキエル362528)。
 
 それで、これを受け入れ、その御思いによって生きる者は、「父である神の中に御子イエスがおられ、御子イエスの中に父である神がおられ、父である神と御子イエス、聖である霊と呼ばれる方が一つであるように、この方と一つになる者」としていただけるのだそうです(ヨハネ172123)。
 
 この方との「一つ」に加えていただき、イエスがそうであったように、「自分のこころを行うためではなく、遣わした方の御心を行う」(ヨハネ638)者としていただき、この方の「力ある業」の現れのためにも、用いていただけるのだそうですね。
 
 善悪を知る者、自分一人の理性の判断で生きる者、砂の上に家を建てているような生き方から、天の神、主と一つになって生きる、天の神、主の御思いを聞きながら生きる生き方、岩を土台とした家を建てていく生き方に。
今日も。