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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

安らかな、喜びに満ちた地に導いてくださるのだそうです。この方が。

人の子は、
  失われたものを捜して
    救うために来たのである。ルカ19106/12の週の聖句)
 
 御旨を行うすべを教えてください。
あなたは私の神。
恵み深いあなたの霊によって、
安らかな地に導いてください。詩編14310
 
 あなたがたは、
主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
キリストに結ばれて歩みなさい。
キリストに根を下ろして造り上げられ、
教えられたとおりの信仰をしっかり守って、
あふれるばかりに感謝しなさい。コロサイ書267
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/12;日)
 
 イエスが、捜して救うといわれる「失われたもの」。
それは、「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と望まれて造られながら(創世記126)、その天の神、主と心を一つにし、思いを一つにしている場にとどまらないで、もっとすばらしいものになろうとし、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになった」(創世記35622)、本来のいるべき場所からさまよい出て、的外れになってしまっている私たち人間のことのようです。
ちょうど、モーセに導かれてエジプトでの奴隷状態を脱出し、天の神、主の大きな御業、恵み、あわれみを体験しながら、すぐ、それを忘れ反抗するイスラエルの民のように(詩篇106)。
 
 天の神、主は、そのように創造の目的から外れてしまった私たち人間を、生ごみとして廃棄処分にすることを望まれず、最初の目的のとおりに回復しようと計画されたのだそうです。
イエスが話された、家出して、放蕩三昧して財産を使い果たした息子が帰って来るのを待ちわび、見つけると、大喜びで抱きしめ、息子のしるしの指輪をはめさせ、いちばんいい着物を着せ、靴をはかせて、大喜びで宴会を開いた父親のように(ルカ15:11~32)。
 
 それは、永遠の昔から共におられ、この天地創造、人間の創造を共にされた「御子」である方を人として、人の世に送り、この「御子」である方が、私たちすべての人間の、すべてのそむきの罪、的外れの責任を取って十字架刑で処刑され、「神に背いた者」、「呪われた者」となって、天と地との間に高く掲げられるというものだったのだそうです。
 
 そして、この贖(あがな)(代価を支払って買い戻すこと)を受け取る者を、「そむきの罪が贖われ、処刑が終わった者」、「処罰すべき罪が残っていない者」として、手続きしてくださるというものなのだそうです。
 
 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、受け入れる者をこの方の臨在で覆い、受け入れる者の心をこの方の御思いで満たし、包んで、受け入れる者を「父である神」と呼ばれる方」が一人一人に思っておられる思いと同じ思いを思い、一つ思いになるようにしてくださるという計画なのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ16:7、13)。
 
 それで、この、イエスの十字架の処刑を通して来られる、「聖である霊」と呼ばれる方の働きを受け入れていく者は、イエスが、「自分からは何事もせず、ただ、父がなさることをしている」(ヨハネ51930)ように、父である方がしようと思われる業をしていく者に(ヨハネ1412)していただけるのだそうです。
 
 イエスが、「父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなり、彼らもわたしたちにおるようになるためです」、「わたしたちが一つであるように、彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ172122)と言っておられる、その在り方のかたちに似せてくださるのだそうです。
 
 それで、これを受け入れる者は、「御旨(みむね)を行う者」ともしていただけ、「キリストの中に存在する者、キリストに根を下ろす者」ともしていただけ、「あふれるばかりの感謝」が心に満ちる者にもしていただけるのだそうです。
この新しい週も。