風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

潤された園、水の涸れない泉にしていただけて

あなたは潤された園、
  水の涸れない泉となる。イザヤ書5811
 
 わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
 わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。ヨハネ414
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/13;月)
 
 永遠のいのちへの水と呼ばれる方、「聖である霊」と呼ばれる方は、イエスが私たちすべての人間の身代わりとなって十字架刑で処刑されてくださり、死に勝利して復活し、もとおられたところ、天の父である神の右の座に帰られたことにより、受け入れる者のうちに来てくださることができるようになった方なのだそうです。
 
 この「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださると、この方を受け入れた者は、「神の霊が住まわれる所」、「天の神、主の神殿」と呼ばれ、エゼキエルのが見た幻、「神殿の敷居のしたから流れ出た水が大きな川となって流れる」(エゼキエル47Ⅰ~12)、その幻のように、その腹から、この方の働きが、いくつもの大きな川の流れのように流れ出て(ヨハネ7:38)、まわりを潤された園のようにしていくのだそうです。
 
 「聖である霊」と呼ばれる方は、「父である神」が私たち一人一人に思っておられる御思いを、受け入れる者の心に置いてくださるので、受け入れる者は「父である神」と同じ思いを思い、一つ心になるので、「父である神」が思っておられるように、「悪のきずなを解き、くびきの縄目をほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕く」ようになるのだそうです。
 
 「飢えた者には自分のパンを与え、家のない貧しい人を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、肉親の世話をよくする」ようにもなるのだそうですね。
 
 「天の神、主を呼ぶと、主は答え、その者が叫ぶと『わたしはここにいる』と答えてくださる」のだそうです。
 「後ろ指を指すことや、つまらないおしゃべりをしないようになり、飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させる」ようにもなるのだそうですね(エゼキエル58610)。
自由意思で、自発的に、自分からすすんで。
 
 そのように、心が、思いが替わり、生活が変わるので、まわりの人々は、その人のうちに「聖である霊」と呼ばれる方が来ておられること、そして、十字架に架かって死なれたイエスが復活し、今も生きて、働いておられることが本当だと知るようになるのだそうです(ルカ73650)。
今日も。