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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

見たこと、聞いたことを話さないではいられなくなって

主が私に授けること、

 私はそれだけを忠実に告げるのです。民数記23:12

 

 私たちは、

見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。使徒4:20

 

      (ローズンゲン日々の聖句6/20;水)

 

 本当の愛とは、相手と一つになりたい、相手が思っていることを自分も思い、相手が話すとおりに自分も話したいと願うもののようです。

 

 愛において、「父である神」と完全に一つになっていらっしゃるイエスは、ご自身、全知、全能、永遠不変の方でありながら、「父である神」を愛し、尊敬し、「自分からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話している」(ヨハネ8:28)方なのそうです。

 

 そして、天の神、主に立てられた預言者も、自分の考えで差し引きもせず、付け加えもせず、示されたとおりをそのままに語るのですね。

 

 イエスの弟子たち、イエスが十字架刑で処刑され、自分たちも捕まえられるのではないかと恐れて家の奥に隠れていた弟子たちに、復活されたイエスが40日にわたって何度も現れ、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを示されたのだそうです。

 

 そして、「エルサレムから離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです」(使徒1:4~5)と命じられ、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、上げられ、雲に包まれて、見えなくなられたのだそうです。

 

 それから10日後の五旬節(ペンテコステ)の祭り、旧約律法が与えられたその記念日に、約束の「聖である霊」と呼ばれる方が弟子たち、一人一人に来られて、弟子たちの心に「父である神」の御思いを置かれたのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~27)。

 

 すると、特別に聖書の勉強もしたことがない弟子たちが、大胆に、聖書全体から、イエスが復活されたことを語り始めたのだそうです。

イエスを十字架にかけた祭司長、民の指導者、長老、律法学者たちの「イエスの名によって語ったり、教えたりしてはならない」との脅かしにも屈せずに。

 

 「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださり、この方の「父である神」、「御子イエス」に対する愛を、そして「父である神」が私たち一人一人に思っていてくださる御思いを受け入れる者の心に置いてくださるとき、私たちも見たこと、聞いたことを話したいものになるのだそうです。

預言者ミカが記した、

「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。

あなたは、咎を赦し、

ご自分のものである残りの者のために、

そむきの罪を見過ごされ

怒りをいつまでも持ち続けず、

つくしみを喜ばれるからです。

もう一度、私たちをあわれみ、

私たちの咎を踏みつけて、

すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

昔、私たちの先祖に誓われたように、

真実をヤコブに、

つくしみをアブラハムに与えてください」(ミカ7:18~20)、

この神を。

今日も。