風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分を賢いと思っているのですね。私たち、人間は。

主は知っておられる、
 人間の計らいを、
  それがいかに空しいかを。詩編9411
 
 自分を賢いとうぬぼれてはなりません。ロマ1216
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/16;木)
 
 多くの人は心に思うのですね。
神なんかいない、あるいは、神は死んだ、神は見ることがない。気づかないと。
 
 「耳を植え付けられた方がお聞きにならないだろうか。
目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。
人に知識を教え、国々を戒めるお方が、お責めにならないだろうか」と詩編の作者は謳います(詩篇94910)。
 
 天の神、主を愛し、この方と一体となるあり方(創世記126)を捨て、自分をもっと素晴らしいものに、神のひとりのようになり、善悪を知るようになろうとしている(創世記34622)私たち人間は、自分を賢いとし、自分の理性に絶対的信頼を置き、その理性の判断によって生きようとする者なのですね。
けれども、天の神、主は、それを「うぬぼれ」だとおっしゃる。
 
 すべてのことは、「父である神」と呼ばれる方の御思いから発し、御思いのとおりに成り、御思いのとおりに支えられて存在しているのだそうです(ロマ1136)。
 
 一つのからだに多くの器官があって、それらは、それぞれ別の働きをしているように、私たち人間は大勢いて、それぞれ異なっていますが、一つのからだの器官のように、「父である神」のご計画のとおりに、その分に応じて、それぞれがなくてはならない働きをしているのだそうです(ロマ845)。
 
 私たち、人間は、イエスの十字架の死を通して来てくださる方、「聖である霊」と呼ばれる方によって、一人ひとりに思っていてくださる「父である神」の御思いを心に置いていただいて、その御思いのとおりに、一人ひとり、みんなちがっていて、一人ひとり、なくてはならない働きをしていくのだそうです。
今日も。