風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

もみ殻ではなく、穀物のように、中身のずっしりと詰まった人生に

夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。
 しかし、わたしの言葉を受けて者は、
   忠実にわたしの言葉を語るがよい。
 もみ殻と穀物が比べものになろうかと、
    主は言われる。エレミヤ書2328
 
 愛する者たち、
どの霊も信じるのではなく、
神から出た霊かどうかを確かめなさい。Ⅰヨハネ41
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/17;金)
 
 預言者エレミヤに対抗して、「私は夢によって神の示しを受けた」と言って、預言する者もたくさんいたようですね。
 天の神、主は、その者たちに対して、「わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった」と言われたのだそうです。
彼らは「もみ殻」のよう、彼らが預言する言葉には中身がない、と。
 
 天の神、主の預言者に求められることは「忠実」なのだそうです。
自分の理性の判断で付け加えず、また、差し引くことをせず、示されたとおりを、「神はこう言われる」と取り次ぐ。
 
 私たち、霊的なものに弱いものですね。
つい、心を惹かれてしまう。
けれども、この世にはいろいろな霊が働いているようです。
だから、その霊が、天の神、主から遣わされた者かどうかをよく見極める必要があるようです。
摩訶不思議を行って力ある者であるかのように見せかけ、先の事を予言して、あたかも、全知であるかのように見せかけ、信じる者の心を縛り、自由を奪い、支配して、ついには滅びにいたらせる霊も多いのだそうですから。
 
 
 私たちの身代わりになって、私たちのそむきの罪の全部を引き受けて十字架刑での処刑を受けてくださり、三日目に墓より復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。
この方が、受け入れる者の心に起こして下さる、御自身の、「父である神」、「御子である神、イエス」に対する愛の思い。
そして、受け入れる者の心に置いてくださる「父である神」の私たち一人一人に対する御思い。
その御思いについていく者は、生きるのだそうです。
もみ殻のような人生ではなく、穀物のような中身のある人生を。
「義人は信仰によって生きる」(ガラテヤ311)のだそうですから。
今日も。