風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

愛し合う者に、幸せな者になってほしいのだそうです。私たちにも。

今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。

 ただ、あなたの神、主を畏れて

  そのすべての道に従って歩み、

  主を愛し、

  心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、

   あなたが幸いを得ることではないか。申命記10:12

 

 神の言葉を守るなら、

まことにその人の内には神の愛が実現しています。

これによって、

私たちが神の内にいることが分かります。Ⅰヨハネ2:5

 

      (ローズンゲン日々の聖句6/22;水)

 

 天の神、主は、恋い慕ってくださっているようですね。

私たちのことも(申命記10:15)。

愛し合い、心を一つにし、思いを同じにする間柄になりたいと。

 

 だから、心の包皮を切り捨て、うなじのこわい、自分の理性の善悪の判断を優先させる「生まれた時からの霊」という自分自身をイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて処刑されてしまっているものと認めて(計算して、帳簿につけて)、

三日目に墓より復活し、40日にわたって何度も弟子たちに現れて、ご自身が確かに生きていることを数々の確かな証拠で証明したうえで、弟子たちの見ている前で雲に迎えられ、天の「父である神」の右の座に帰られたイエスが、派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方、

この方を受け入れ、この方の働きによって、「父である神」と呼ばれる方が私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを、心に書き付けていただき、同じ思い、一つ心になりながら歩む。

その幸いを得る道を歩んでほしいと願っていてくださるのだそうですね。

 

 「聖である霊」と呼ばれる方の、「父である神」、「御子である神」に対する御愛が受け入れる者に来るとき、私たちにも、この方の天の神、主を愛する心が来て、愛する方と思いを一つにしたい、心を一つにしたい、御思いの中にいたいと願うようになり、お言葉のとおりに、御思いのとおりに生きたいと願うようになるのだそうです。

 

 これは、願っていくなら、求めていくなら、必ず実現する生き方なのだそうです。

うらみのある者を赦す心にも(マルコ11:20~26)。

今日も。