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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

いやし、休ませ、回復させようと

わたしは彼の道を見た。
  わたしは彼をいやし、休ませ、
    慰めをもって彼を回復させよう。イザヤ書5718
 
 12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
そして、多くの悪霊を追い出し、
油を塗って多くの病人をいやした。マルコ61213
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/30;木)
 
 天の神、主から、「われわれが一つになっているように、われわれの一つに加わり、われわれの一つを表わすものを」と願われて造られて私たち人間(創世記126)。
 
 天の神、主と一つであることよりも、もっと素晴らしい者になろうと思って、天の神、主との一つを捨て、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になった」人間の始祖アダム(創世記35622)。
 
 私たちは、アダムのその性質を遺伝として受け継いでいるようですね。
その「神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者」となっている私たちの行く道は、ただ、「むさぼり」と「そむき」、「自分の思う道を行く」ばかりなのだそうです。
 
 天の神、主は、その、むさぼるばかり、そむくばかりの私たちの道を充分に、よく見たうえで、私たちをいやそうとおっしゃって下さっている。
 
「わたしはいつまでも争わず、いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが衰え果てるから」、
 
「わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう」(イザヤ571618)と。
 
 
 天の神、主は、そのような私たちを赦すために、永遠の初めから共におられ、この天地の創造を一緒になさった御子である方を人間イエスとして人の世に生まれさせ、私たちすべての人間の身代わりとして立て、私たち人間のそのそむきの罪の全部を御子イエスの上に置いて、十字架刑で処刑したのだそうです。
 
 それで、受け入れる者は、罪の全部を、処刑済みの手続きをしていただけるのだそうです。
 
 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方によって、受け入れる者の心に、「父である神」が私たち一人一人に思っていてくださる御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、その部分において、「父である神」と同じ思いを思う者、一つ心になっている者としていただけるのだそうです。
 
 イエスが言われた、「わたしと父である神とが一つであるように、受け入れる者が、イエスと父である神と一つになる」(ヨハネ172123)とのイエスの言葉が実現するのだそうですね。
 
 
 「父である神」のお心と一つ心になっている者は、「父である神」がそうしようと思われるとき、そのお心のとおりに、悪霊を追い出し、病人をいやす者ともなるのだそうです。
イエスの12使徒たちがそうであったように。
私たちも、今日も。