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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を

恐れるな、
  わたしはあなたを贖う。
 あなたはわたしのもの。
   わたしはあなたの名を呼ぶ。イザヤ書4317/3の週の聖句)
 
 主の日は大いなる日で、はなはだ恐ろしい。
誰がその日に耐えられよう。
主は言われる。
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ。ヨエル書21112
 
 世は更け、日は近づいた。
だから、闇の行いを脱ぎ捨てて
光の武具を身に着けましょう。ロマ書1312
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/3;日)
 
 もし、天の神、主が、因果応報で私たちに接せられたら、私たちの心、行動を裁かれたら、私たちは誰一人、この方の前に立つことができ、、義とされるものはいないのだそうです。
 
 まさしく、「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。
神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。ひとりもいない」(ロマ31012)のが、私たちの実態なのだそうです。
 
 それで、神の正しいさばきが現れる日、神がひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになる日は、私たちのかたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの現れる日となり(ロマ256)、はなはだ恐ろしい、誰も耐えられない日となるのだそうです。
 
 そのような私たちをも、天の神、主は、なお、惜しんでくださって、あわれみと慈しみをもって接してくださり、私たちを取り戻し、初めの目的のように回復しようと計画していてくださるのだそうです。
 
 天の神、主は、独り子であられる方、永遠の初めから共におられ、この天と地、宇宙と地球の自然環境、そして、生き物と人間を、ご一緒に創造された御子である方を、私たち人間のそむきの罪の贖い代(あがないしろ、買い戻しの代金)と定め、ご計画の時に、予告されていた村、ベツレヘムで、女の子孫(創世記315)として、預言の言葉のとおりに、ダビデの系統の一人の貧しい処女マリヤを通して、人間イエスとして生まれさせ、預言の言葉のとおりにナザレ村で育たせ、そして、およそ33歳の頃、この方を、私たちすべての人間の身代わりとして立てて、私たちのすべてのそむきの罪を背負わせて十字架刑で処刑して、受け入れる者のそむきの罪を処罰済みとされる道を開かれたのだそうです。
 
 そのうえで、この贖いを受け取った者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きによって、ご自身の、一人一人に持っておられる御思いを、受け入れる者の心に置いてくださって、これを受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、一つ心になるようにされたのだそうです。
 
 そして、おっしゃるのですね。「恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたはわたしのもの」と。
そして、ご自身の子として、私たちひとりひとりを、それぞれの名をもって呼んで下さるのだそうです。
 
 だから、天の神、主は、私たちが、、「神の一人のようになり、善悪を知る者」として、自分が自分の主人だとして、思いのままにふるまって来た今までの生き方にサヨナラをし、このことを受け取り、自分のものとして闇の行いを脱ぎ捨て、光の中、天の神、主の御思いの中を生きる者になって欲しいとおっしゃるのだそうです。
「聖である霊」と呼ばれる方によって、遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活から出て、昼間らしい、正しい生き方を一緒にする者になってほしいのだそうです(ロマ1313)。
この新しい週も。