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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今は、御子イエスによって語られるのだそうです。

神々の神、主は、
  御言葉を発し、
   日の出るところから日の入るところまで、
    地を呼び集められる。詩編501
 
 神は、かつて預言者たちによって、
多くのかたちで、また多くのしかたで
先祖たちに語られましたが、
この終わりの時代には、
御子によって私たちに語られました。ヘブル書112
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/8;金)
 
 日本でも、「天知る。地知る。我知る」と言われていますが、天の神、主は、ご自分の民を裁くため、日の出るところから日の入るところまで、天と地を呼び集めて証言させると言っておられるのだそうです。
 
 私たちは、一人一人、天の神、主の前で、これらの証言に対して弁明しなければならない時が来ると天の神、主は言われるのだそうです。
けれども、神である主は、私たち人間が滅びてしまうことを惜しまれ、身代わりのものを処刑して、私たちの背きの罪を処罰済みにしようとしていて下さるのだそうです。
 
 
 天の神、主は、贖いのふたの上に、年に一度、大祭司が、民の罪を背負わせてほふった犠牲の動物の血を振りかけ、民の罪の贖いをするようイスラエルの民に命じ、その贖いのふたの上の二つのケルビムの間から、モーセに語るとおっしゃられました(出エジプト25:22)。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名のられる方は、創造の初めから、自由意思で、愛と尊敬によって自発的に、ご自身と一つ思い、一つ心になるようにとの、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)との願いで造った人間が、その自由意思によって、その造られた場に留まることを止め、「神のひとりのようになり、善悪を知る者となる」(創世記35622)ことを予測しておられたのだそうです。
 
 それで、前もって、そのようになったとき、その人間を処罰しないで、その離反から救い出す方法を考えておられたのだそうです。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名のられる方は、人間がそのように離反したときには、まず、御子である方が、天の栄光の座を捨てて人間として、女の子孫として(創世記315)人の世に下り、イエス(主は救い)と名のられ、すべての人間の離反の罪をご自身に背負って死刑を受けること、
 
 そして、これを自分の離反の罪の処罰であると受け入れ、イエスによって自分の処刑が終わったものと受け取った者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方が降って行って、受け入れる者の心に、ご自身の「父である神」に対する愛と尊敬の思いを書き付け、「父である神」が一人一人に思っておられる御思いを置き、受け入れる者がこの部分において、愛と尊敬をもって「父である神」と呼ばれる方と同じ思いを思い、一つ心となるようにと計画されたのだそうです。
 
 ちょうど、「御子である神」と呼ばれる方、「聖である霊」と呼ばれる方が、愛と尊敬をもって「父である神」と一つ思い、一つ心になっておられるように。
 
 それで、神である主は、その御子イエスがすべての人間の離反の罪を背負って処刑を受ける、その出来事の予表、あらかじめ指し示すひな形として、選ばれた民、イスラエルにおいて、年に一度、大祭司が、民の罪を背負わせた牛、やぎをほふり、その血を贖いのふたの上に振りかけて民の罪を贖う(あがなう、代価を払って買い戻す)儀式を命じられたのだそうです(レビ記16228)。
 
 
 かつて、会見の天幕の贖(あがな)いのふたの上、あかしの箱の上の二つのケルビムの間からモーセに語り、イスラエルの民に告げさせられた方は(出エジプト252122)、
神の御子である方が、人間イエス、女の子孫として人の世に来られ、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ129)として、すべての人間のそむきの罪を背負って、十字架刑での処刑を受けられ、墓に葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に、新しいからだ、復活のからだでよみがえり、40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを弟子たちに示された後、天の「父である神」の右の座に帰られた今は、御子イエスを通して語っていてくださるのだそうです。
 
 
 そして、そのイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者にそれぞれに対する御父の御思いを置いてくださるので、この方によって、その、心に来た思いについていく者は、イエスのからだの肢体として、イエスがしようと思われることを実現していくことになるのだそうです(Ⅰコリント121218)。
各自が、それぞれの分に応じて。
 
天の神、主は、御子によってそのように語っておられるのですね。
今日も。