風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

さまざまな恵みの善き管理者として

あなたの神、主より受けた祝福に応じて、

  それぞれ、献げ物を携えなさい。申命記16:17

 

 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、

神のさまざまな恵みの善い管理者として、

その賜物を生かして互いに仕えなさいⅠペテロ4:10

 

      (ローズンゲン日々の聖句7/20;水)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちに、私たち人間が存在するのに必要なもの、生きていくのに必要なもの、さらには、人生を豊かにし、私たちが喜び楽しむためのもの、この人間の歴史が進んでいくために用いようとしておられる役割など、祝福とし、御思いに応じて与えていてくださっているのだそうです。

 

 それで、神である主の前に出るとき、受けたものの中から、それぞれが心に決めた分に応じて(Ⅱコリント9:7)、感謝の献げものを携えてくるようにと勧められているようです。

 

 一つのからだに、多くの肢体があり、それぞれがちがう働きをしながら、一つのからだとしてまとまり、調和しているように、天の神、主は、私たちひとりひとりに役割を計画しておられ、必要な能力や立場を与えていてくださるのだそうです。善い管理者として、それを生かして用い、互いに仕え合うようにと思っておられるのだそうです。

 

 イエスの十字架刑で処刑を通して私たちに来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方は、一人一人の心に、「父である神」が一人一人を通してしようと思っておられる御思いを置いてくださるのだそうですから、その御思いに沿って行動していくとき、私たちは、神が私を通してしようと思っておられることをしていくことになり(ヨハネ14:12)、キリストのからだの肢体の一つとして、役に立つ者になるのだそうです。

 

 その時は、事実を事実のままに、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」と言えばいいのだそうです。

自分の考えをさしはさみ、自分の考えでどうこうしないでいいのだそうです(マタイ5:33~37)。

 

 「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださり、働いてくださるのだそうですから。

今日も。