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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

良い考えを与えて下さる方が、

主よ、
  あなたの定めは私の楽しみです。
    私に良い考えを与えてくれます。詩編11924
 
 両親は
イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、
話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。ルカ246
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/22;金)
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御思い、それが良い考え。
 それで、この方を相談相手とし、自分の考えをこの方に申し上げ(11926)、この方の考えをお聞きすることは知恵を得る事であり、喜びの出来事になるのだそうです。
 
 
 エルサレム神殿に上った12歳のイエスが、宮で教師たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられたのだそうですが、聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていたのだそうです。
イエスは、この、「わたしはあるという者」と名乗られる方の知恵で満ちておられたのですね。
 
 この、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の言葉を聞いても、人々はいろいろな態度を取るのだそうです。
 
 人の考えでがっちり固まっている、人に踏み固められた道ばたのように、無視し、聞き流して心に留めようともしない人。
 
 岩地のように、この方の言葉をすぐによろ込んで聞くけれど、根を張らないで、困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人。
 
 いばらのいっぱい生えている土地のように、みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込み、みことばをふさぐので、実を結ぶに至らない人。
 
 良く耕された畑のように、困難や苦難で自分の限界を知り、心砕かれて、心が柔らかになり、この方の考えを受け入れて、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ人たち(マルコ41020)。
 
 
 自分が、天の神、主の前には、死刑になるはずの者と自分の実態を認め、
天の神、主が差し出していてくださるイエスの十字架刑で処刑を、自分自身の処刑と受け入れて、
「生まれたときからの霊」という自分自身は処刑されたものと手続きしていただき、
三日目に、墓より復活し、天の父の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって、「父である神」の、私たち一人一人に対して思っていてくださる御思いを、心に置いていただく者は、
「父である神」と一つ思いにしていただけるのだそうです。
 
 それで、受け入れる者は、みな、心を一つにし、同情しあい、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜な心になるのだそうです。
 
「父である神」がしようと思っておられるとおりに、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与える者にしていただけるのだそうです。
 
いのちを愛し、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を追い求める者に(Ⅰペテロ3817)。
 
今日も。