読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

燭台の上の灯りのように

人に嘲られることを恐れるな。
  ののしられてもおののくな。イザヤ書517
 
 すべての人にほめられるとき、
あなたがたは不幸である。ルカ626
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/23;土)
 
 私たち、出来るだけ多くの人に認められ、ほめられることを喜ぶ者です。
しかし、この曲がった邪悪な時代にあって(ピリピ2:15)、多くの人にほめられることが必ずしもいいこととは限らないようです。
正しく生きようとし、世の光として周りを照らす者は、時として悪評を受け、ののしられるようなことにもなるようです。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は言われます。
義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。
私に聞け。
あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。
あなたがたの父アブラハムと、
あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
わたしが彼ひとりを呼び出し、
わたしが彼を祝福し、
彼の子孫をふやしたことを。
 
まことに主はシオンを慰め、
そのすべての廃墟を慰めて、
その荒野をエデンのように、
その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。
 
わたしの民よ。わたしに心に留めよ。
私の国民よ。わたしに耳を傾けよ。
おしえはわたしから出、
わたしはわたしの公義を定め、
国々の民の光とする。
わたしの義は近い。
わたしの救いはすでに出ている。
わたしの腕は国々の民をさばく。
島々はわたしを待ち望み、
わたしの腕により頼む。
 
目を天に上げよ。また下の地を見よ。
天は煙のように散り失せ、地も衣のように古びて、
その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
わたしの義はくじけないからだ。
義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。
わたしに聞け。
人のそしりを恐れるな。
彼らのののしりにくじけるな。
しみが彼らを衣のように食い尽くし、
虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
しかし、わたしの義はとこしえに続き、
わたし救いは代々にわたるからだ」(イザヤ51:1~8新改訳)と。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
イエスの十字架刑での処刑と復活を通して来てくださる、「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に、ご自身が私たち一人一人を通してしようと思っておられることを置いてくださるのだそうです(エゼキエル36:25~28)。
 
 それで、受け入れる者は、この方の、その御思いを自分の願い、自分の志とし、それを行う者にしていただき、世の光として輝くようにしていただけるのだそうです(ピリピ21218)。
 
 受け入れる者は、燭台の上のあかりのように回りを照らすものとされ、おおい隠されているものを明らかにしていくために用いていただけるのだそうです(マルコ42125)。
今日も。