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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あなたの栄冠をだれにも奪われないように

あなたがわたしを畏れず、
  あなたの神である主を捨てたことが、
   いかに悪く、苦いことであるかを、
    味わい知るがよい。エレミヤ書219 
 
 あなたの栄冠をだれにも奪われないように、
持っているものを固く守りなさい。黙示録311
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/29;金)
 
 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方。
「父である神」、「御子である神」、「聖である霊」と呼ばれる神が、愛と尊敬において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、
その一つを表わすかたちとして、その一つに加わる者として創造された人間。
 
 そして、妻エバの求めに屈して、その神との一つの場に留まらないで、もっと素晴らしい者になろうとし、
神のようになり、善悪を知るようになろうとして神に背いた始祖アダム。
 
 そのアダムの子孫として生まれたすべての人は、この神に対するそむきを受け継いでいるのだそうです。
 
 
 天の神、主から、特別に選ばれたイスラエルの民においても、例外ではなかったようです。
神の律法というかたちで御思いを示され、「主の仰せられたことは、みな行い、聞き従います」と答え、
「あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝の民となる。
あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」との契約を結びながら(出エジプト195682437)、
この神を捨て、近隣の国々の、ほかの神々を慕って行ったイスラエル
 
 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、エレミヤを予言者として立てて言われます。
 
ヤコブの家と、イスラエルのすべてのやからよ。
主のことばを聞け。
主はこう仰せられる。
「あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、
むなしいものに従って行って、むなしいものになったたのか。
彼らは尋ねもしなかった。
『主はどこにおられるのか。
私たちをエジプトの国から上らせた方、
私たちを、荒野の荒れた穴だらけの地、
砂漠の死の陰の地、
人も通らず、だれも住まない地を行かせた方は』と。
 
しかし、わたしはあなたがたを、実り豊かな地に連れて入り、
その良い実を食べさせた。
ところが、あなたがたは、入って来て、わたしの国を汚し、
わたしのゆずりの地を忌みきらうべきものにした。
 
祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言わず、
律法を扱う者たちも、わたしを知らず、
牧者たちもわたしにそむき、
預言者たちはバアル(先住民の神)によって預言して
無益ものに従って行った。
そのため、わたしはなお、あなたがたと争う(エレミヤ249)、と。
 
 それで、このままで行くなら、北から敵を呼び寄せ、あなたがたを打つしかないから、
そむきをやめて、立ち帰るようにと呼びかけておられるのですね(エレミヤ11119)。
 
 
 イエスの十字架刑での処刑を、自分の「生まれたときからの霊」という自分自身の処刑としていただき、
三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって、父である神が、私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを、心に書き付けていただき、父である神と思いを一つにし、心を一つにして生きる生き方をいただいた者は、その「神の子」の栄冠をだれにも奪われないように、と、勧められているのですね。
 
 イスラエルの民が、出て来たエジプトを慕って、エジプトに帰ろうとしたように、古い人と呼ばれる、「生まれたときからの霊」という死亡手続きが終わっている「私」を生かして、「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている、過ぎ去った生き方に戻って、自分の理性の判断を主人とし、これに従い、自分の理性の好む神々を造ってこれを慕って、いただいた栄光を失うことがないようにと。
 
 死にかけている娘を助けてくださいと、イエスの足もとにひれ伏し、願った、会堂管理者ヤイロのように、
また、12年間、長血をわずらい、どんな医者にも直してもらえず、「イエスのお着物にさわることでもできれば、きっと直る」と、イエスの着物にさわっていやされた女性のように(マルコ52134)、この方を私の神とし続けていくようにと。
今日も。
 

 

あなたがわたしを畏れず、あなたの神である主を捨てたことが、いかに悪く、苦いことであるかを、味わい知るがよい。エレミヤ書219 あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。黙示録311(ローズンゲン日々の聖句7/29;土)

 

天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方、「父である神」、「御子である神」、「聖である霊」と呼ばれる神が、愛と尊敬において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、その一つを表わすかたちとして、その一つに加わる者として創造された人間。

 

そして、妻エバの求めに応じて、その神との一つの場に留まらないで、もっと素晴らしい者に、神のようになり、善悪を知るようになろうとして神に背いた始祖アダム。

 

そのアダムの子孫として生まれたすべての人は、この神に対するそむきを受け継いでいるのだそうです。

 

天の神、主から、特別に選ばれたイスラエルの民においても、例外ではなかったようです。

 

神の律法というかたちで御思いを示され、「主の仰せられたことは、みな行い、聞き従います」と答え、「あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝の民となる。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」との契約を結びながら(出エジプト195682437)、この神を捨て、近隣の国々の、ほかの神々を慕って行ったのだそうです。

 

天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、エレミヤを予言者として立てて言われます。

 

「ヤコブの家と、イスラエルのすべてのやからよ。

 

主のことばを聞け。

 

主はこう仰せられる。

 

『あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、

 

むなしいものに従って行って、むなしいものになったたのか。

 

彼らは尋ねもしなかった。

 

「主はどこにおられるのか。

 

私たちをエジプトの国から上らせた方、

 

私たちを、荒野の荒れた穴だらけの地、

 

砂漠の死の陰の地、

 

人も通らず、だれも住まない地を行かせた方は」と。

 

 

 

しかし、わたしはあなたがたを、実り豊かな地に連れて入り、

 

その良い実を食べさせた。

 

ところが、あなたがたは、入って来て、わたしの国を汚し、

 

わたしのゆずりの地を忌みきらうべきものにした。

 

 

 

祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言わず、

 

律法を扱う者たちも、わたしを知らず、

 

牧者たちもわたしにそむき、

 

預言者たちはバアルによって預言して

 

無益ものに従って行った。

 

そのため、わたしはなお、あなたがたと争う」(エレミヤ249)と。

 

それで、このままで行くなら、北から敵を呼び寄せ、あなたがたを打つしかないから、

 

そむきをやめて、立ち帰るようにと呼びかけておられるのですね(エレミヤ11119)。

 

イエスの十字架刑での処刑を、自分の「生まれたときからの霊」という自分自身の処刑としていただき、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、父である神が、私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを、心に書き付けていただき、父である神と思いを一つにし、心を一つにして生きる生き方をいただいた者は、その「神の子」の栄冠をだれにも奪われないように、と、勧められているのですね。

 

古い人と呼ばれる、「生まれたときからの霊」という死亡手続きが終わっている「私」を生かして、「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている、過ぎ去った生き方に戻って、自分の理性の判断を主人とし、これに従い、自分の理性の好む神々を造ってこれを慕い、栄光を失うことがないようにと。

 

死にかけている娘を助けてくださいと、イエスの足もとにひれ伏し、願った、会堂管理者ヤイロのように、

 

また、12年間、長血をわずらい、どんな医者にも直してもらえず、「イエスのお着物にさわることでもできれば、きっと直る」と、イエスの着物にさわっていやされた女性のように(マルコ52134)、この方を私の神とし続けていくようにと。
今日も。