風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

塩で味つけられた優しい言葉を使う者に

自分自身のうちに塩をもちなさい。

  そして、互いに平和に過ごしなさい。マルコ9:50

      (8月の聖句)

 

 人々が、

代々に御業をほめたたえ、

力強い御業を告げ知らせますように。詩編145:4

 

 すべての舌が、

イエス・キリストは主である」と公に宣べて、

父である神をたたえるのです。フィリピ書2:11

 

      (ローズンゲン日々の聖句8/2;火)

 

 すべては、火によって塩けをつけられるのだそうです。

煮物がよく煮られ、塩がよく溶けて、煮物全体にほどよく行きわたっているように、

イエスの十字架刑での処刑をとおして来られる方、「聖である霊」と呼ばれる方の働きによる、「父である神」の御思いが、私たちの心の隅々、思いの端々にまで行きわたり、口から出る言葉、身体で表すメッセージが、御思いに満ちたものとなるのだそうです。

 

 自分が神のひとりのようになろうとして(創世記3:5、22)、自分を他の人よりも少しでも高い位置に置こうとして競い合う、「生まれた時からの霊」という自分自身を神の裁きの下にあるものとして嘆き(哀歌1:1~11)、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただき、処刑されたもの、死んだものと手続していただいて、

「聖である霊」と呼ばれる方によって、イエスがそうであったように、

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりも優れた者と思うようになり、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みるようになるのだそうです(ピリピ2:2~4)。

互いに和合し、平和に過ごすようにと。

 

 

 イエスがご自身の「御子である神」の栄光を捨て、命を献げて、この新しい生き方を私たちにもたらされた、その御業を、人々がほめたたえ、告げ知らせ、イエスを、私の救い主、キリストとして受け入れ、告白し、私たちに御子を与えてくださった「父である神」をほめたたえるのだそうです。

イエスによって遣わされた12弟子のように、イエスから受けた権威によって、悪霊を追い出し、病人を癒しながら(マルコ6:7~13)。

今日も。