風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今は、見出せるのだそうです。近くにおられるので。

主を尋ね求めよ、
   見いだしうるときに。
 呼び求めよ、
    近くにいますうちに。イザヤ書556
 
 今や、恵みの時、
今こそ、救いの日。Ⅱコリント62
 
 ロマ書112532
 マルコ63044
      (ローズンゲン日々の聖句8/4;木)
 
 今は、天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、恵みと憐れみをもって、私たちが帰って来るのを待っていて下さるときなのだそうです。
ご自身の側で、独り子の命をさしだして、和解の道を用意して。
 
 ご自身のほうで、独り子である方を人間イエスとして人の世に送り、この方を私たちの身代わりにして十字架刑で処刑することで、私たちのそむきの罪に対する代価を支払ってくださっているのだそうです。
 
 その上で、呼びかけていてくださるのだそうです。
「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。
金のない者も。
さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは、
食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
耳を傾け、わたしのところへ出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる」(イザヤ5513新改訳)と。
 
 さらに、言われるのですね。
「主を求めよ。お会いできる間に。
近くにおられるうちに、呼び求めよ。
悪者はおのれの道を捨て、
不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
主、(「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方)に帰れ。
そうすれば、主は憐れんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから(イザヤ5567)と。
 
 
 使徒パウロも言います。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされ、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
 
 ちょうど、神が私たちを通して懇願しておられるようです。
私たちは、キリストに代わって、あなたがたに懇願します。
神の和解を受け入れなさい。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
『今が恵みの時、今が救いの日』なのですから」(Ⅱコリント51962)と。
 
 神は、働きのない者、受ける資格のない者、すべての人を「あわれみ」をもって接しようとしていてくださり(ロマ112532)、
空腹のままで帰らせたりなさらない(マルコ64556)のだそうですから。
今日も。