喜び、楽しませてくださるように
あなたを尋ね求める人が、 あなたによって喜び祝いますように。詩編40:17
イエスは言われた。 「ザアカイ、急いで降りてきなさい。 今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ザアカイは急いで降りて来て、 喜んでイエスを迎えた。ルカ19:5~6
ヨハネ8:3~11 マルコ8:1~9 (ローズンゲン日々の聖句8/10;水)
自分で自分のことは何とかできると思っている人は天の神、主を求めようとしないようです。 自分が、悩む者、貧しい者であることを認めた者は(詩篇40:17)、言うのですね。 「主よ。どうかみこころによって私を救い出してください。 主よ。急いで、私を助けてください(40:13)と。
エリコの町の取税人のかしら、ザアカイ。 敵国ローマのために税金を集め、不当に取り立て、金持ちになっていた。 でも、周りからは「取税人、罪びとのやから」と呼ばれ、挨拶もしてもらえない状態だったようです。
イエスがエリコに来られた時、彼は、噂にのぼるイエスという人物、どんな人か見てみたいと思ったようです。 背が低かったので、人込みで見ることができず、前方に走って行って、道端のいちじく桑の木に登って下を通るイエスを見下ろしていた。
ところが、その木の下に来たイエスは、下からザアカイを見上げ、声をかけられたのだそうです。 「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と。 人々から、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」と非難されながら。
けれども、ザアカイは喜びに満たされて、言ったのだそうです。 「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。 また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します」(ルカ19:1~8)と。
あるとき、宗教的指導者たちが、イエスを告発する理由を得ようと、姦淫の現場で捕らえられた一人の女性をイエスの前に放り出し、「モーセは律法の中で、こういう女を石打の刑で処刑するように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」とイエスに迫ったのだそうです。
イエスは、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と答えたので、彼らは、年長者から始めて、ひとりひとり出て行き、イエスとその女性だけになった。 イエスは、「婦人よ。私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」と言って彼女を帰されたのだそうです(ヨハネ8:1~9)。
イエスと弟子たちとが、人里離れた寂しいところに退いておられたとき、大勢の人々が、イエスを探して集まり、イエスの言葉を聞こうとしていたのだそうです。 イエスは、弟子たちを呼んで、「かわいそうに。この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物をもっていないのです。 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。 それに遠くから来ている人もいます」と、 手元にあった7つのパンと少しばかりの魚を、感謝をささげてからそれを裂き、人々に配るよう、弟子たちに与えられたので、人々は食べて満腹し、帰っていったのだそうです。 男だけで、およそ、4千人いたそうですが、余ったパン切れを取り集めると七つのかごにいっぱいになったのだそうです。
天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、ご自身を求めてくる者を喜び祝わせてくださる方なのですね。 年老いても運んでくださり、生きていくのに必要な物も備えていてくださるのだそうです。 今日も。
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