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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恵みと希望、慰めを与えて下さる方と

主のことば:
かつてこの民に大きな災いを下したが、
  今や、彼らに約束した通り、あらゆる恵みを与える。エレミヤ3242
 
 パウロの手紙:
あなたがたについて私たちが抱いている希望は揺るぎません。
あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、
慰めをも共にしていると、
私たちは知っているからです。Ⅱコリント17
 
 マタイ121521
 マルコ93841
      (ローズンゲン日々の聖句8/19;金)
 
 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、
「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」と答えて、
この方をわたしの神とし、心を一つにして歩みますとの契約を結びながら(出エジプト247)、
心は遠く離れ、
「彼らはわたしに、顔ではなく背を向け、わたしがしきりに彼らに教えるが、聞いて懲らしめを受ける者もなく、たしの名がつけられている宮に忌むべき物を置いて、これを汚し、わたしが命じもせず、心に思い浮かべもしなかったことだが、彼らはモレクのために自分の息子、娘をささげて、この忌み嫌うべきことを行うために、ベン・ヒノムの谷にバアルの高き所を築き、ユダを迷わせた」ご自分の民を、
剣と飢饉と疫病により、バビロン王の手に渡そうとしておられるのですが(エレミヤ323336)、
それなのに、なお、言われるのですね。
 
 「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
わたしは、いつもわたし恐れさせるために、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、
彼らに一つの心と一つの道を与え、
わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。
わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし、思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。
わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、
わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす」(エレミヤ323742新改訳)と。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、ご自分の民が間違った方向にどんどん進んで行って、最終的には滅びてしまうことにならないようにと、
方向転換をしてご自分に帰って来るようにと、民を打たれるようです。
 
 けれども、その打っておられるときにも、神は、その、そむく民と一緒にいて、ご自身も苦しみを味わい、苦しみを共にしておられ、慰めと希望を与えようとしていてくださる方のようです(Ⅱコリント1310)。
 
 
 御子である神と呼ばれる方は、私たち、すべての人間のそむきの責任をご自身に負って、私たちすべての人間に代わって、病を負い、十字架刑で処刑され、神に呪われた者として天と地との間に高く掲げられ、さらしものになってくださるために、人間イエスとして人の世に来てくださったのだそうです。
 
 神は、この方について、イエスが生まれる700年ほど前に、預言者イザヤを通して言っておられます。、
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。
わたしは彼と上にわたしの霊を置き、
彼は異邦人に公義を宣べる。
争うこともなく、叫ぶこともせず、
大路でその声を聞く者もいない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない。
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼の名に望みをかける」と(マタイ121521)と。
 
 
 そのイエスは、12弟子のひとり、ヨハネが、
「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間でないのでやめさせました」と、まるで、良いことをしたかのように報告してきたとき、答えられたのだそうです。
「やめさせることはありません。
わたしの名を唱えて、力ある業を行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。
わたしに反対しない者は、わたしの味方です。
あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。
これは確かなことです」(マルコ93841)と。
 
 このイエスは、そして「私の霊を置く」と言われている方は、受け入れる者とともにいて働いてくださり、父である神の御思いのように、受け入れる者を導いてくださるのだそうです。
今日も。
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