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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の闇を照らしていただきながら

主よ。
 あなたは私のともし火、
   主は私の闇を照らしてくださる。サムエル記下2229
 
 キリストの言葉:
わたしを信じる者が、
だれも暗闇の中にとどまることのないように、
わたしは光として世に来た。ヨハネ1246
 
 マタイ1218
 マルコ10112
      (ローズンゲン日々の聖句8/22;月)
 
 ダビデ王は言いました。
「主、「わたしはある」と名乗られる方はわが巌、わが砦、わが救い主、
わが身を避けるわが岩なる神。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。
 
 あなたは、恵み深い者には、恵み深く、
全き者には、全くあられ、
きよい者には、きよく、
曲がった者には、ねじ曲げる方。
あなたは、悩む民を救われますが、
高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。
主よ。あなたは私のともしび。
主は、私のやみを照らされます。(Ⅱサムエル22142629新改訳)と。
 
 
 私の回りにある闇、私のうちにある闇、
光として来られたイエスがいてくださると、闇は消え去るのだそうです。
 
 私の心にある罪の暗闇を、思い煩いの暗闇を、そっくり、そのまま、イエスととおして、父である神の御前に差し出し、、見ていただき、知っていただくと、それは光りの中の出来事、明るい出来事にしていただけるのだそうです(エペソ5:11~14、ピリピ4:6)。
 
 そして、イエスを通して現される父である神の御思い、
聖である霊と呼ばれる方が、私たちの心に置いてくださる、父である神の御思い、
その思いについて行くとき、私たちは光の中を歩むことになるようですね。
 
 文章で神の御思いが示され、その書かれてあるとおりに生きようとしながら、
判断を間違えて、神の御思いとは違うことをしながら、それで自分は御思いのようにやっていると思い違いをしてしまう闇があります。
 
 イエスは、父である神のほんとうの御思いを人々に示して、本来の、正しい、父の御思いに導かれようとしてくださっていたようです。
 
 安息日を守ろうと、細かい、してはいけない基準を作って、人々を縛り付けていた律法解釈を正し、(マタイ1218)、
また、律法を自分に都合の良いように解釈して、「離婚状さえ渡せば自由に離婚していい」とする男の身勝手な解釈を正して、
結婚を定められた父である神の本来の御思い、「それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはいけません」(マルコ10:1~12)と。
 
 イエスによって、また、イエスが遣わしてくださる「聖である霊」と呼ばれる方によって、父である神の御思いを心に置いていただき(エゼキエル362627)、その御思いについて行くなら(ヨハネ1035、ガラテヤ525)、私たちは、自分の理性の暗闇に閉じ込められることはなく、しっかりと父である神に向かえるのだそうです。
今日も。
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