風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人と、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を造られた方が

主なる神は、

  野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土でかたちづくり、

    人のところへ持って来た。

  人はすべてに名を付けた。創世記2:19~20

 

 五羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。

だが、その一羽さえ、

神がお忘れになるようなことはない。ルカ12:6

 

 ガラテヤ書5:22~26

 エレミヤ書1:11~19

      (ローズンゲン日々の聖句8/30;火)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、

「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれ似せて。

彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはう、すべてのものを

(われわれと心を一つにして)支配(管理、統治)するように」と

おっしゃって人を造られたのだそうです(創世記1:26)。

 

 この方は、人だけではなく、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を創造された方。

それで、私たちの頭の毛の一本一本も数えておられ、

そして、1アサリオンで2羽、2アサリオンで5羽、

つまり、おまけにつけられた雀の1羽もお忘れになるようなことはない方なのだそうです。

 

 

 この方がおっしゃるのですね。「わたしは、わたしの言葉を実現しようと見張っている」(エレミヤ1:12)と。

ユダ王国とエルサレムの住民に対して、

「わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。

 

 彼らは〔あなたを私たちの神とし、あなたのおっしゃることをみな行いますとわたしと契約を結んでおきながら(出エジプト19:8、24:3~8)〕、わたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造ったものを拝んだからだ。

 わざわいが、北からこの地の全住民の上に降りかかる。

今、わたしは北のすべての王国(バビロン)の民に呼び掛けているからだ。

彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁と、ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設ける」(エレミヤ1:13~16) と。

そのことばを実現しようと見張っていると。

 

 そして、なお、何度呼び掛けても、この方に立ち返ろうとしない民に、

紀元前586年、ついにエルサレム神殿も破壊され、バビロンに捕囚されることを実行なさったのだそうです。

本当は、思い直して、わざわいを下さなくていいようにしたかったのだそうですが(士師10:16)。

 

 

 「女の子孫」として生まれる方が、

サタンがその方のかかとにかみつくけれど、

その方がサタンの頭を踏み砕く(創世記3:15)と約束した方、

 

身代わりの動物の命がささげられることで、民の罪の処罰が終わったものとみなす儀式によって罪の赦しを予告され続けて来た方は、

 

御子である神と呼ばれる方が、処女マリヤの胎を通し人となって人の世に来られ、十字架刑での処刑を受けられ、すべての人のすべての罪の身代わりによる罪の処罰が終わっている今、

 

受け入れる者の「生まれた時からの霊」を、このイエスの十字架刑の処刑に合わせて、処刑が終わったものと手続してくださるのだそうです。

 

 そのうえで、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、

この方によって、受け入れる者の心にご自身のひとりひとりに対して持っておられる御思いを書き付けてくださり、

受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、一つ思いになるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 私たちの「生まれた時からの霊」から出てくる思いは、

「不品行、汚(けが)れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」などです。

 

 けれども、「聖である霊」から、受け入れる者に来る思いは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」なのだそうです。

 

 約束のことばが実現することを見張っている方は、私たちが、自分自身である「生まれた時からの霊」をイエスの十字架刑での処刑に合わせて、処刑されたもの、死んだものとして下さっていることを受け取り、

 

この「聖である霊」と呼ばれる方が心に書き付けてくださる御思いによって生きるようにと願っていてくださるのだそうです(ガラテヤ5:19~26)。

今日も。

 

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