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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

豊かな、広い所へ導き出して下さる方に

われらは火の中、水の中を通った。
  しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。詩篇6612口語訳)
 
 いつも目をさまして
祈りなさい。ルカ2136
 
 Ⅱテサロニケ21317
 エレミヤ書6923
      (ローズンゲン日々の聖句9/3;土)
 
 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、
私たちを、患難をとおして練られることがあるようですね。
銀を製錬するように。
 
 火の中、水の中を通るような困難な状況によって
私たちとの関係を深め、訓練される方のようです 。
そして、私たちを、広い、豊かな牧草地へ導いてくださる。
 
 私たち、この世で、うまく、調子よく、順調にいっていると、いつの間にか、天の神、主との関係が意識から遠のき、自分がやれているみたいに、自分で生きていけるかのように思ってしまうのですね。
 
 確かに、患難が自分の弱さ、足りなさを思い出させ、
造られたもの、土から取られたものであることを思い出させ、
私たちを神へ立ち返らせてくれることも多いようです。
 
 天の神、主から、
「わたしはだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。
見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。
見よ。主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。
彼らはそれを喜ばない」(エレミヤ610)と言われ、
 
 「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、
それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ」と言っても
「しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った」(エレミヤ61617
と言われるばかりの私たちですが、
 
いつも、油断せずに、目をさまして、この方に自分の心の動きのすべてを申し上げ、私の全部を知っていただき、見ていただきながら、
そして「聖である霊」と呼ばれる方の導きを見つめながら、
この方が心に置いてくださる「父である神」の私に対する御思いを見つめながら、
進んで行けますように。
 
 「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように」(Ⅱテサロニケ21617)。
 
今日も。
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