圧倒する背きの罪を引き受けてくださって
罪の数々が私を圧倒します。
背いた私たちを、あなたは贖(あがな)ってくださいます。詩編65:4
徴税人は遠くに立って、
目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
「神様、罪人の私を憐れんでください。」ルカ18:13
マルコ12:41~44
エレミヤ14:1~16
(ローズンゲン日々の聖句9/10;土)
私たちは、造り主を認めず、
自分で存在できている者であるかのように思い、
はなはだしく、背信の罪を犯している者です(エレミヤ14:7)。
イエスが、自分を義人だと自任し、他の人々を見下している人に対して話したたとえですが、
心の中で、
「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、
ことにこの取税人ようではないことを感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受ける者はみな、その十分の一をささげております」と祈ることができた、
まじめに生きて、宗教にも熱心な努力家ではなく、
遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、胸を打ちたたいて
「神さま。こんな罪人の私を憐れんでください」と言うしかない、
みんなから嫌われ、のけ者にされている人が、神から義と認められて帰ったというのですね。
「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高く」していただけるのだそうです(ルカ18:14)。
「まことに、あなたがたに告げます。
この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
みなは、有り余る中から投げ入れたのに、
この女は、乏しい中から、あるだけ全部、生活費の全部を投げ入れたからです」(マルコ12:41~44)と。
天の神、主、「わたしはある」という者と名乗られる方は、私たちの心を見ておられる方のようです。
本心で、二心ではなく単一な心になって、神の前に出て行くことを喜ばれるようですね(ヤコブ4:8)。
圧倒するような私たちのそむきの罪を、ご自分に引き受けて、
私たちに代わって処罰されてくださり、
受け入れる者に、新しい霊、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、
受け入れる者の心の思いを一新して、
新しく生きるようにしてくださるのだそうですから(ロマ12:2)。
ご自身の御思いのように。
今日も。