光が射し出でるのだそうです。御言葉から。
御言葉が開かれると光が射し出で、
無知な者にも理解を与えます。詩編119:130
かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。
それで私たちは、聖書からの忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。ロマ書15:4
使徒14:8~18
エレミヤ書44:1~14
(ローズンゲン日々の聖句10/8;土)
すると、これを見た群衆は、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言って、ゼウス神殿の祭司がいけにえをささげに来たのだそうです。
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちもみなさんと同じ人間です。
そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音(喜ばしい知らせ)を伝えている者たちです。
過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。
すなわち、恵みをもって、天からの雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たしてくださったのです」(使徒14:8~18新改訳)と。
聖書に書かれていることは、私たちのためであって、人間や、そのほかの造られたものを拝む生き方から解放され、生ける神に立ち返るよう、わきまえのない者に悟りを与え、忍耐と慰めと希望を与えるためなのだそうです。
自分の考えをひとまず、横に置いておいて、聖書をとおして語っておられる方に聞いてみる、相談してみるのもいいようですね。
今日も。