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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

光が射し出でるのだそうです。御言葉から。

御言葉が開かれると光が射し出で、
  無知な者にも理解を与えます。詩編119130
 
 かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。
それで私たちは、聖書からの忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。ロマ書154
 
 使徒14818
 エレミヤ書44114
      ローズンゲン日々の聖句10/8;土)
 
 ルステラ(今のトルコの町)でのこと、パウロバルナバがイエスのことを伝えているとき、そこに、生まれつき足のなえた、歩いたことのなかった人が、聞いていたのだそうです。
 パウロの話すことに耳を傾けていたその人に、パウロが大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」というと、彼は飛び上がって、歩き出したのだそうです。
すると、これを見た群衆は、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言って、ゼウス神殿の祭司がいけにえをささげに来たのだそうです。
それで、パウロバルナバは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫んで、いけにえをささげるのをやめさせたのだそうです。
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちもみなさんと同じ人間です。
そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音(喜ばしい知らせ)を伝えている者たちです。
過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。
すなわち、恵みをもって、天からの雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たしてくださったのです」(使徒14818新改訳)と。
 
 
 聖書に書かれていることは、私たちのためであって、人間や、そのほかの造られたものを拝む生き方から解放され、生ける神に立ち返るよう、わきまえのない者に悟りを与え、忍耐と慰めと希望を与えるためなのだそうです。
 自分の考えをひとまず、横に置いておいて、聖書をとおして語っておられる方に聞いてみる、相談してみるのもいいようですね。
今日も。
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