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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心を一つにし、共に生きるようにと

主がお前に求めておられるのは、
  正義を行い、慈しみを愛し、
    神と共に歩むことである。ミカ書6810/9の週の聖句)
 
 主は言われた。
「あなたの言葉(懇願)のゆえに、わたしは赦そう。民数記1420
 
 主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも同じようにしなさい。コロサイ書313
 マルコ10216
 詩編109
(ローズンゲン日々の聖句10/9/16;Ⅱ日)
 
 イスラエルの民。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方によってエジプトの奴隷状態から救い出され、御思いを示され、「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」と応え、神の民となる契約を結んだ民。
 
 しかし、その直後、シナイ山に上ったモーセ40日たっても降りて来ないのを見て、金の子牛の像を作り、「これが、エジプトの地から私たちを連れ上った私たちの神だ」として、これを拝み、座っては飲み食いし、立っては戯れたのだそうです。
 それで、天の神、主はこの民を滅ぼそうとされたのですが、モーセが執り成したので、これを赦されたのだそうです(出エジプト24章、32章)。
 
 そして、約束の地を目の前にしても、その地の住民が強そうなので、「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだ方がましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子はさらわれてしまうのに。エジプトに帰った方が、私たちにとって良くはないか。さあ、エジプトに帰ろう」と逆らったのだそうです。
けれども、このときも、モーセの執り成し、懇願で赦されたのだそうです(民数記14125)。
 
 
 今、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
イエスがご自分の命を差し出し、すべての人の身代わりとなり、すべての罪を背負って十字架刑での処刑を受けてくださった、その執り成しで、「生まれたときからの私」という私自身の霊を、イエスの処刑に合わせて処刑されたもの、死んだものとしてくださり、私たちのそむきの罪を赦そうとしておられるのだそうです。
 
 そして、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きで私たちの心に、ご自身の御思いを置いてくださって、受け入れる者が、ご自身と思いを同じくし、心を一つにして生きるようにしようとしていてくださるのだそうです(エレミヤ313134、エゼキエル362528)。
 
 ちょうど、本来の夫と妻が、心を一つにし、一体となり、この人生を共に歩むものとして合わせられたように(マルコ1029)。
 この新しい週も。
 
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