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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

明るい理性の中を

主は正しくいまし、恵みの業を愛される。詩編117
 
 光の子として歩みなさい。
光から、あらゆる善意と正義と真実が生じるのです。エフェソ書589
 
 Ⅱテサロニケ3613
 エレミヤ書441530
    (ローズンゲン日々の聖句10/10;月)
 
 立ち返るようにとの、預言者を遣わしての、たび重なる天の神、主の呼びかけに聞こうとせず、自分の理性の判断のまま、他の神々を求め、ついに、バビロンの王ネブカデネザルの軍によってエルサレムは攻略され、破壊され、廃墟となってしまったイスラエル
 
 そのわずかに残った民も、預言者エレミヤを通して、このことは天の神、主から出た懲らしめの出来事だから、この地に残り、バビロンの支配の下にとどまるようにとの天の神、主の声に聞こうとせず、自分たちの善悪の判断のとおりにエジプトに下って行ったのだそうです。
 
 そして、なお、生ける神に立ち返るようにと勧めるエレミヤに答えたのだそうです。
「私たちはあなたが主の御名によって語った言葉に従うわけにはいかない。
私たちは、私たちも、先祖たちも、私たちの王たちも、首長たちも、ユダの町々やエルサレムのちまたで行っていたように、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぎたい。
私たちはその時、パンに飽きたり、しあわせでわざわいに会わなかったから。
私たちが天の女王にいけにえをささげるのをやめた時から、私たちは万事に不足し、剣とききんに滅ぼされた」と。
 
 そのように、私たちも、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、暗くなってしまった自分の理性の判断の中を、暗闇を歩む者です。
 
 しかし、自分の理性の暗さを認め、イエスの十字架刑での処刑を通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方により、「父である神」の御思いを心に置いていただき、その御思いを我が思いとして生きる者は、光の子としていただき、明るい理性の中を歩む者にしていただけるのだそうです。
 これを受け入れる者は、締まりのない生き方をせず、静かに仕事をし、自分で得たパンを食べ、天の神、主の善意と正義と真実の中を歩むようにしていただけるのだそうです。
今日も。
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