恵み深い方と、共に生きるのだそうです
私は心に留める、 主のいつくしみと主の栄誉を、 主が私たちに賜ったすべてのことを。イザヤ書63:7
あなたがたは、 主が恵み深い方だということを味わいました。Ⅰペテロ2:3
ロマ書13:1~7 エレミヤ書45:1~5 (ローズンゲン日々の聖句10/11;火)
イザヤは記しています。 主は仰せられた。 「まことに彼らは私の民、偽りのない子たちだ」と。 こうして、主は彼らの救い主になられた。 彼らが苦しむときには、いつも主もともに苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。 その愛とあわれみによって主は彼らを贖(あがな)い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いてこられた。 しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。
そのとき、主の民はいにしえのモーセの日を思い出した。 「羊の群れの牧者とともに、彼らを海から上らせた方はどこにおられるのか。 その中に主の聖なる御霊を置かれた方はどこにおられるのか。 その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、彼らの前で(海の)水を分け、永遠の名を成し、荒野を行く馬のように、つまづくことなく彼らに(海の)深みの底を歩ませた方は、どこにおられるのか。 家畜が谷に下るように、主の御腕が彼らをいこわせた。
このようにして、あなたは、あなたの民を導き、あなたの輝かしい御名をあげられたのです。 どうか、天から見おろし、聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。 あなたの熱心と、力あるみわざは、どこにあるのでしょう。 私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、あなたは押えておられるのですか。 主よ、あなたは、私たちの父です。 あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。(イザヤ63:8~19より、新改訳)と。
神の民イスラエルに対して、天の神、主はこのようであられたようですが、今は、私たち異邦人に対しても、独り子であられる方が、人間イエスとして人の世に来られ、家造りらが捨てた石のように、人に捨てられて、わたしたちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けて下さって、私たちの、「生まれた時からの私」という霊を処刑済み、死んだものとしてくださっているのだそうです。
そして、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を遣わしてくださって、受け入れる者を「子」としてくださり、この方によって、私たち一人ひとりに対するご自身の御思いを、受け入れる者の心に書き付けて下さって、受け入れる者を、ご自身と、思いを同じくし、心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。 だから、この出来事を受け取った者は、この方を「父よ」とお呼びしながら、この方の恵みの御業の中を生きるのだそうです。 今日も。
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