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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「わたしは主」と言われる方が

わたしは主、これがわたしの名。
わたしは栄光をほかの神に渡さず、
  わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。イザヤ428
 
 たとえ神々と呼ばれるものがいても、
私達には、唯一の、父なる神がおられ、
万物はこの方から出、この神へ帰って行くのです。
 また、万物はキリストによって存在し、
私達もこの主によって存在しています。Ⅰコリント856
 
 Ⅰコリント142633
 哀歌3133
      (ローズンゲン日々の聖句10/13;木)
 
 神々と言われるもの、人間に都合のいい、人間がが考え出した神と言われるものはこの世にたくさんあります。
 しかし、「わたしは主」と言われる方、この天地、万物を御思いのままに創造された方は、唯一の神。
すべてのものは、この方の御思いから出ており、この方のために存在しているのだそうです。
そして、唯一の主なるキリスト(神の御子、救い主)としてのイエスがおられ、すべてのものはこの方によって存在しているのだそうです。どのものであっても、この方が支えていて下さるので存在することができているのだそうです。
 
 また、このイエス。
私たちの身代わりになり、私たちのすべての罪を背負って十字架刑での処刑を受けてくださり、墓に葬られ、三日目に墓より復活された方。
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、数々の確かな証拠をもって、ご自分が生きておられることを示されたうえで、オリーブ山で、弟子たちの見ている前で天に帰られ(使徒1:2~3)、「父である神」の右の座に帰られたイエス。
 
 このイエスが、派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方が、受け入れる者の心に「父である神」の、私たちひとり一人に思っておられる御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、この方が語らせられるままに、他のことばを話すようにもなり(使徒2:4)、また、語らせようと思われるままに「御思い」を語る(預言する)者にもしてくださるのだそうです。
 
 それで、受け入れる者は、みなの徳を高めるように、秩序をもって、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしをしたりするようになるのだそうです(Ⅰコリント142633)。
 
 そして、受け入れる者は言うのだそうですね。
「私たちが、(私自身の罪によって)滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
主の憐れみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
『あなたの真実は力強い。
主こそ、わたしの受ける分です』と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む(哀歌32224新改訳)と。
今日も。
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