風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

威光の目撃者として

お前たちの生きている時代に、
 わたしは自分の語る ことを実行する、
   と主なる神は言われる。エゼキエル書1225
 
 ペテロの手紙:
わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、私たちは巧みな作り話を用いたわけではありません。
私たちは、キリストの威光を目撃したのです。Ⅱペテロ116
 
 箴言318
 哀歌5122
      (ローズンゲン日々の聖句10/15;土)
 
 エルサレムが陥落する直前においても、民はなお、それは遠い先の事で私たちに関係することではないとして、立ち返るよう呼びかける、預言者エレミヤを通しての神の声に聞こうとはしなかったのだそうです。
 
 今の世にあっても、私たちは、この時代がずっと続き、滅びはあるとしてもずっと先の事で自分とは関係がないと心に思うのですね。
 
 使徒ペテロが書いているように、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が預言者をとおしてずっと言ってきたキリスト(救い主)の預言は、確かにこの人間の歴史の中で、ナザレ村出身の、あのイエスによって実現し、ペテロたちは確かにそれを目撃したと証言しているのですね。
自分たちが考え出した作り話ではないと。
 
 そして、そのイエスが十字架刑で死刑になったことによって実現した、「聖である霊」と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださり、この方によって「父である神」と呼ばれている方が私たちひとり一人に思っておられる御思いが受け入れる者の心に来て、受け入れる者が「父である神」と思いを同じにし、心を一つにして生きるようになるという約束(エレミヤ313134、エゼキエル362528)も実行され、実現し、
受け入れる者はこれを体験するということなのでしょうね。
事実として。
今日も。
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