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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

前もって準備していて下さる善い業の中に

主よ、あなたの慈しみがとこしえにありますように。
  御手の業をどうか放さないでください。詩編1388
 
 私たちは神に造られたものであり、
しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、
キリスト・イエスにおいて造られました。
私たちは、その善い業を行って歩むのです。エフェソ書2:10
 
 創世記13518
 Ⅱコリント2111
      (ローズンゲン日々の聖句10/19;水)
 
 私たちは、自分で生まれて来て、自分で生きているように思っていますが、あの本によると、「あなたたちを造ったのはわたしだ」とおっしゃる方がおられるのだそうです。
私たちは、その方の御手の業なのだそうです。
だから、その方が、御手のわざである私たちを見放してしまうことはなく、しっかりと握っていて下さるのだそうですね。
 
 
 そればかりでなく、私たちが自分で行っていると思っている善い業も、実は、その方が前もって準備していてくださったものなのだそうです。
 
 それで、私たちは、善き業の何かをなし得たとしても、それは自らの力によるのではなく、天の神、主、「わたしはある」と言われる方が、私がそう出来るよう、前もって準備してくださっていた、神の賜物なのだそうです。
 
 そのことがよく分かった者は、自分を誇ることを止め、この方に感謝をささげるようになるのだそうです。
 
 また、自分の考えの中にとどまるのではなく、「聖である霊」と呼ばれる方が、心に置いてくださる「御父」の御思いの中に、善い業の中に、一歩、踏み出していく者にもしていただけるのだそうです。
 
 アブラハムが、甥のロトと別れるとき、どこを取るかを、まず、ロトに選ばせて、自分は残りを取って行ったように(創世記13:5~18)。
 
 また、使徒パウロの勧めに従ってコリントの人たちが、罪を犯している人を、悩みに満ち、憂いに満ちた心で、涙ながらに、責めたけれども、その人が悔い改めたとき、赦し、力づけ、愛したように(Ⅱコリント2:1~11)。
今日も。
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