風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

赦しを受け取った者と、いつも一緒にいようと

赦しはあなたのもとにあり、
  人はあなたを畏れ敬うのです。詩編130410/23の週の聖句)
 
 どうか、天を裂いてくだってください。イザヤ書6319
 
 そのとき、
人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、
人々は見る。マルコ1326
 
 マタイ182135
 詩編143
      (ローズンゲン日々の聖句10/23;日)
 
 私たちが、暗やみをこそこそ生きるのではなく、白日の下で、光の中を堂々と生きられるように、誰から告発されても大丈夫なようにと、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、白日の下で、世界の中心、ヨーロッパ大陸とアジア大陸、アフリカ大陸が交差するかなめの場所で、ローマ帝国の権威のもと、私たちのそむきの罪のすべてを処罰されたのだそうです。
 
 神の御子である方を、人間イエスとして人の世に送り、この方をすべての人間の身代わりとして立て、すべての罪の責任をこの方に負わせて、天と地の間に高く掲げて、人々と天使たち、悪霊どもの眼前で、十字架刑で処刑してくださり、
これを受け取る者のそむきの罪を処罰済みとしてくださったのだそうです。
 
 このイエスの死に合わせられた者として、受け取る者の「生まれたときからの霊」を処刑済み、死んだものと手続きしてくださって、
受け取る者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださり、この方によって、ご自身が一人ひとりに思っておられる御思いを、一人ひとりの心に置いてくださり、
受け入れる者を、「父である神」と思いを同じくし、心を一つにし、行動を一つにしながら生きる者にしてくださるのだそうです。
赦しは、この方にあるのだそうですから。
 
 神の御子である方が、人々の罪を背負って処刑されるために来られた、あのときは、人々が寝静まる夜、野にいた貧しい羊飼いたちのほかには誰にも知られず、静かに、密やかに来られたのだそうですが、ご自分と一つになっている者を迎えるため、次に来られるときは、大いなる力と栄光を帯びて、天の雲に乗って来られるのだそうです。
その出来事は、いなずまが天の端から天の端にきらめきわたるように、一瞬に、全地球に及ぶのだそうです。
それで、赦しを受け取り、この方と心を一つにして歩んでいる者は世界中から、一瞬のうちに引き上げられ、天の御国でこの方といつまでも一緒にいることになるのだそうです(Ⅰテサロニケ4:14~17)。
 
 イエスの死による赦しを受け取り、「聖である霊」によって示される「父である神」の御思いによって生きる者は、この希望の中を、互いに赦し合いながら(マタイ182135)生きるのだそうです。
この新しい週も。
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