風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今や恵みの時、今は救いの日

今や、恵みの時、
  今こそ救いの日。Ⅱコリント62(11/6の週の聖句)
 
 神は、善をも悪をも一切の業を、
隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。コヘレト1214
 
 人の子が来るとき、
果たして地上に信仰を見いだすだろうか。ルカ188
 
 ルカ172030
 詩編90
      (ローズンゲン日々の聖句11/6;日)
 
 今は、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が恵みをもって私たちに臨んでいてくださっている時。
今が、救いの日なのだそうです。
 
 けれども、やがて、必ず、天の神、主が、私たちの良いことも悪いことも、私たちのいっさいの業を、隠れたこともすべて引き出して裁きをなさる時が来るのだそうです。
ひとり一人が御座の前に立ち、それぞれの仕業、生きざまに応じて報いを受けるその日が。
 
 その日の前に、御子であるイエスがもう一度、来られるのだそうです。
恵みの時、救いの日に、ご自身が十字架刑での処刑を受けて、受け入れる者を処刑済みとし、新しい霊、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して、この方によって「父である神」が一人ひとりに思っておられる御思いを心に置いてくださり、「父である神」と思いを一つにし、心を一つにして生きるようになった者を引き上げ、ご自分のおられるところにおるようにしてくださるために。
 
 しかし、イエスは、その日に、果たして地上に信仰が見られるであろうかと危ぶんでおられるようですね。 
 
 その日、イエスが2度目に来られるその日は、ちょうど、いなずまがひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、全地球規模で、一瞬に臨むのだそうです。
だから、屋上にいる者は家に家財があっても取り出しに降りてはいけない。
畑にいる者も家に帰ってはいけない。
 
 その日、同じ寝台でふたりの人が寝ているとひとりは取られ、他のひとりは残され、
女がふたりいっしょにうすをひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残される、というようなことが起こるのだそうです(ルカ172035)。
 
 だから、自分の正しさに足場を置かないで、神の憐れみ、イエスが十字架刑での処刑を受けてくださって差し出してくださっている救いだけを頼りにして、もうちょっと自分がどうにかなって、ではなく、今あるその場から、引き上げられていく生き方をするのだそうですね。
今日も。
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