風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

慈しみと正義と恵みの業をこの地にもたらすために

わたしこそ主。
  この地に慈しみと正義と恵みの業を行うことを喜ぶ。エレミヤ書923
 
 主の名を呼ぶ者は皆、
不義から身を引くべきである。Ⅱテモテ219
 
 Ⅰペテロ4711
 Ⅱコリント101218
      (ローズンゲン日々の聖句11/7;月)
 
 主である神。
喜びをもって慈しみと正義と恵みの業をこの地に行われる方。
 
 主の名を呼ぶ者は、イエスが十字架刑での処刑を受け、死んでくださったことに合わせていただいて、造り主である神に対抗し、自らが「善悪を知る者」になっている、「生まれたときからの私」という霊を処刑されたもの、死んだものと手続きをしていただけるのだそうです。
 
 その上で、イエスによって、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣していただき、この方は、「父である神」と呼ばれる方が、私たちひとり一人に思っておられる御思いを、受け入れる者の心に置いてくださるので、受け入れる者は、この方によって「父である神」と同じ思い、一つ心にしていただけるのだそうです。
 
 それで、受け入れる者は、「父である神」がしようと思われる、慈しみと正義と恵みの業をこの地に届ける者として用いていただけるのだそうです。
 
 私たちの心には、死んだものとされた「生まれながらの私」という霊から来る思いと、「聖である霊」から来る思いとが起こります。
 
 それで、心に起こる思いの一つひとつを神の御前に差し出し、見ていただきながら、「生まれたときからの私」という霊から来た思いは「死んだもの」から来た思いであると見極め、横に置いて、「聖である霊」から来た思いについて行ってみるのだそうです。
 
 この切り替えの訓練ができて来ると、主人にとって有益なもの、あらゆる良い業に間に合うものとなって、いよいよ、尊いことに使っていただけるようになるのだそうです(Ⅱテモテ22026)。
今日も。
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